アリが猪木にビビってた!?今明かす”世紀の凡戦”裏話:雄大奇抜な”虚業家”康芳夫

内外タイムス平成3年(2001年)5月11日(金曜日)

内外タイムス平成3年(2001年)5月11日(金曜日)

アントニオ猪木とムハマド・アリの異種格闘技戦を思いつくなど、「希代の異能プロデューサー」の異名をとる康芳夫さん。それまでの常識をくつがえすイベントを実現させ、世間の度肝を抜いた彼が繰り出す次なる一手とは。

康さんほど変わったプロデューサーはちょっと見当たらない。風ぼうからして独特で、広い額に大きな顔、白い長髪は迫力ある異相だ。この顔に微笑を浮かべて説得されると、だれでもその気になってしまうのだろう。

スコットランドのネス湖にひそむという恐竜ネッシーを捕まえてしまおうと、石原慎太郎代議士(現東京都知事)を隊長とする大探検隊を計画、かと思えば偵察衛星がアラビアの山頂にあるのを撮影した、ノアの方舟探検隊などという壮大な計画も、彼が立案すると必ず資金を出すスポンサーが現れるのだ。

ここで、その雄大にして奇抜な発想を年代順に紹介しよう。

1969年、「池田大作を裁く」「松下幸之助を裁く」「宮本顕治を裁く」の3冊を刊行。創価学会、松下電器、日本共産党それぞれのトップを斬ったこの3冊は、いずれもベストセラーとなった。72年、日本人として初めてムハマド・アリ対フォスターのボクシングヘビー級タイトルマッチをプロモート。73年、前述の「ネス湖探検隊」を派遣。

そして76年、いまだに語り継がれる「ムハマド・アリ対アントニオ猪木、格闘技世界一決定戦」をプロモートしたのである。翌日のスポーツ各紙では”世紀の凡戦”と評された。その一方で康さん本人のもうけはばく大だったという。

「あの時、猪木くんは本気だったけど、アリの方は単なるショ-だと考えていた。ところが、僕が猪木君のビデオを見せたらアリは腰を抜かしてた。猪木君の試合があまりにもすごいから。それでアリは『これはルールでがんじがらめにしないとやられる』と考えた。それでああいう試合になったんです」

それからひと月もたたないうちに「人類猿オリバー」をどこからか連れてきた。どこから見ても猿としか見えないものを、猿と人間の間の、それも人間にちかい人類猿だという触れ込みで、日本テレビに4億円いう大金で売り込んだ。

79年の「アミン大統領対アントニオ猪木」という企画も出色だった。当時アミンはウガンダ大統領。自分の国の外務大臣の首を切り落とすほどの凶暴ぶりで、その悪名は世界に鳴り響いていた。

「アミンは東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンで、しかもイスラム教徒。したがってアリのことを神様みたいに思っていた。僕はアリの紹介だったから非常に簡単に会えた。150万ドルのギャラというところまで決まっていたんだけど、アミンが内乱で負けてサウジアラビアに亡命したので流れてしまった。いまでも非常に残念です」

これほどスケールが大きく、プランが国際的なプデューサーは、日本では例がないだろう。自らを、「虚業家」と称する康さんは、今なお、雄大かつ奇抜なことをたくらんでいる。

「ちょっと今進めている話があるんですよ。世間をアッと言わせるやつをね」

その先はまだ話せないという康さん、ニヤリと笑っていた。