拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・8

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

櫻木 その前に康さんは「人生は芸術だ」っていうのがあって、そのあとに金は紙切れだっていうのがくるのでは?

康 先にあるというよりも・・・・・・それはPL教団の御木徳近が言ったんだけどおもしろい言葉だと思って。御木徳近は某宗教団体が大きくなる前の新興宗教界におけるフィクショナルマネーのボスだったの。僕等も彼のところでお金を作ってもらった。どこから金が出てくるのか、「おいっ」って合図すると、すーっと秘書が来て金が出てくるのよ、岡本太郎も勅使河原蒼風も彼の前では畏まっているわけ。岡本太郎が御木徳近の前であんなに畏まっているのかと思ったら、あいつも金の威力には・・・・・・。

南 芸術は爆発的金だ(笑)。

康 御木徳近は太郎のアトリエで作品全部買っちゃうんだから。僕はそれを見てるから。「この金は
どこから出てくるんだ」と思ったら、宗教とお金の関係ってフィクションだなあって実感しましたね。然し彼は傑物でね、出ロ王仁三郎と彼は昭和史にのこる宗教家として傑出した人物だと思う。あとの坊主はほとんどゴミだ。あの二人はなかなかのタマですよ。

御木徳近とは実体的な付き合いもあったしね。さっき触れたように私の仕事のお金も彼に作ってもらったし。ある時期、いろいろあって彼が亡くなった後、PL教団はおかしくなっちゃったけどね。ああいうカリスマ性というか、清濁合わせ飲むというか、ああいうタマがいなくなってきたのよ。だから某宗教団体の指導者なんか非常に矮小な感じがしてね。今から35年前くらいかな、僕は彼をやつける本を出して痛めつけられたけどね。彼に特別の興味があったわけじゃないんだけど、あのころは彼らの全盛時代でね、凄まじいんですよ。具体的にいうとね、四谷の創魂出版ってところから出したんだけど、一日20人くらいセールスが来るんだよ。全部、密偵というか。電話もすごくて。ある日、僕は電話を変えたんですよ。そしたら2分経たないうちにまたかかってきた。さすがに参ったなと思ったね。その後になって、例の弁護士の山崎正友がね・・・・・・彼に僕の資料を見せてもらったら、何でこんなことまで知ってるんだとびっくりした。そういうことがあったね。でも、池田大作は御木徳近に比べると二級のリーダーだね。スケールが違うというか、カリスマ性のレベルが全然へだたっている。御木もとんでもない女たらしでいろいろな意味でとんでも男だったけど、人生は芸術だという生活をハイパーな次元で貫いた。池田はそういう余裕は全然感じられない。始めからハングリーそのものだ。出口王仁三郎は当時、既に亡くなってるからね。接触することができなかったのです。僕は今でも出口に興味を持ってるんですけど、中上健次にも彼をモデルに小説を書けと薦めたんだけど死んじゃったからね。でも今、彼を書くキャパシティのある人は作家ではいないかもしれないね。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店

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