◆異相の呼び屋・康芳夫:なぜ、康芳夫は自らペテン師になったか
「欺してごめん」安部譲二(クレスト社・1993・12)
堅気に女を盗まれる
私の恥をさらさないと、この話は、まるでチンプンカンプンになって、読者には何もわけが分からなくなってしまうかもしれない。
作家というのは、どれだけ自分の恥がさらせるかだ、と言った人もいるのだから、これで暮らしを立てている以上、いい恰好ばかりはしてられないと思うので、書いてしまう。
出所すると足を洗って堅気になった私は、永く芽が出なかったのだが、文章を書き始めて四年近く経って、思いがけずブームが来た。たちまち見舞った仕事の嵐に、大変だ、死んでしまうと叫びながら、けれど嬉しくて堪らなかった。
「忙しいのは、幸せの証・・・・・・」
と、いうこともあって、原稿の依頼はまず断らずに、私は一所懸命書きに書いた。
昭和六十一年の晩秋から、この異常な忙しさが始まって、眠る間も満足にないというのに、私はバーで酒を呑み、運動と称してジープを走らせたりしていた。
出版社で働く若くて言葉の豊富な娘とも、ひょんな弾みでベッドで弾む仲になったのだが、そろそろ去ると思っていたブームは、単行本の売行きこそ沈静化したものの、原稿の依頼は逆に増えて、私は昭和六十三年になっても毎日仕事に追われ続けたのだ。
仕事を放り出して女と寝るわけには、新米だし永くくすぶった揚句だから、とてもいかない。やむを得ずふた月を会わずにいたら、私の借りた部屋に女の上司が入り込んでいた。
つまり堅気の勤め人に女を盗まれてしまったのだが、塀の中に閉じ込められていたのならともかく、自分が塀の外にいてこんなことになったのは、これが初めてだったから、私はへこたれて膝をついてしまった。
忙しさにかまけて放っておいた女を、堅気に盗まれても、盗んだ男が自分のことを知らなかったのなら、こんなに参ったりはしない。その女の上司の五十男は、私のことを承知のうえで盗んだのだから、もう今の自分は、勤め人の貧相な黒砂糖のカリントのような爺イに舐められ、安心されるようなものだ。
これは、怒りではなく狂気が爆発するような場面だったのだが、私は奇跡的に掴んだだ今の立場を失いたくなくて、生まれてから覚えのないほど耐えたのだから、これはもうヤクザではない。何もできない自分に、塀の中で屈辱にまみれていた頃と同じ哀れが感じられて、私は懲罰房と同じ涙を流し、仕事部屋の中を頭を抱えて転げ回った。
私は、この非道い舐められようを誰にも話せず、すぐに復讐も仕置きもできないのは、永い無頼な暮らしのバチだと、そう思うしか、この苦しみはしのげそうになかった。
そうしている間に、血は怒りで黒ずみ、不甲斐なさに顔が歪むと、心がしぼんでいくのを知って、これは我慢し耐えたのも無駄骨で、自滅してしまうと私は思った。
なんとかして頁をめくらないといけない。
舐めやがった爺イを邪魔の入らぬところにさらって、いっそ死を願うほどの仕置きをするのが、私の頁のめくり方だ。頁さえめくれば、一切が過去になって、時間とともに傷も治る、傷跡だって薄くなる。
けれど、めくらなければ、いつまでも同じ頁が開いたままだから、やったほうは気味のいいばかりで、やられたほうは堪らない。
出版社の貧相な五十男は、私が狂気も爆発もさせず、涙を呑んで耐えると読んでいたのかと思ったら、怒りで頭の中が煮えたようになったので、与えられた傷が意外に重く厄介なことを、この時初めて知ったのだ。その傷は放っておくと、内臓が腐ってしまうのだから、始末の悪い遅効性の毒物を、私はみっちり呑まされたのと同じだった。
相手に直接オトシマエがつけられない事態で、頁をめくるのは、私には経験がなかったから、どうしようかと一心不乱に考えた。早くしないと手遅れになるので、私は半年ほど前に、担当編集者の連れていってくれた小さなバーニ出かけて、そこのママを口説き落とそうと思ったのだ。このママを手に入れれば、確実に解毒されると私には分かっている。
このバーのママは、そう滅多には見つからないほどの素敵な年増で、これを手に入れられたら、あの出版社の若い娘よりは断然いい。
今は優越感に浸っている爺イを、放射性元素を拾った屑拾いにしてやるのだ。
あの若い娘は助平で可愛かったが、他人の目を気にしないというより、むしろひけらかして突っ張るから、今は勝ち誇ってる乞食爺イも、いずれは頭を抱える時がくる。出版社の部長といっても使用人だから、自然と苦しい立場に追い込まれるし、いかに鈍感な豚女が女房でも、そのうち感づくし、感づかせるのは雑作もない。堅気のカリントが色男面をしても、上手に喰い逃げなんかできるものか。
十年玉を盗まれても、一万円札を拾えば万々歳で、とりあえず十円玉泥棒は泳がせておいて、頁はめくってしまえるのだ。
・・・・・・・・・次号更新【頭の中にウィルスを放たれる】に続く