都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

”沼正三”会見記(1991年12月)共同通信 文化部 小山鉄郎(現 共同通信 編集委員)・・・2

『家畜人ヤプー』は「奇譚クラブ」に二十回第二十七章まで連載された後、昭和三十四年九月号で中絶。その理由は「くたびれてしまったのと、やたらと手直しや注が多く、雑誌側もそれにいちいち応じられないことが重なったため」と天野氏はいう。三島由紀夫の推輓で中央公論社で出版の話が進むが、「『風流夢譚』事件が起きたせいもあったのか、話は自然と立ち消えになってしまう」。その後、徳間書店から話があって、装丁もでき後はもう出版だけというところまできていた。それが最後のところにきて『家畜人ヤプー』(正編)の最終部分である第二十五章「『高天原』諸景」以降を削ってくれないかという話が起こった。

この「『高天原』諸景」以降には古事記、日本書紀の読み換えが行われている部分で、「天照大神は実は白人の女性アンナ・テラスである」などと記されている。「配本直前になって、この部分をとっても作品として成り立つから、とってもらえないかという話だった。この話は蹴ることになりました」

さらに桃源社からのアプローチもあったのだが、そこに天声出版の雑誌「血と薔薇」の編集者から電話があり、昭和四十四年「血と薔薇」第四号に続きの章が掲載される。そして天声出版を出た矢牧一宏が作った都市出版社によってようやく昭和四十五年二月、『家畜人ヤプー』の単行本は刊行が実現する。

しかし、今度は都市出版社が右翼に襲撃されるのである。昭和四十五年六、七月に関西系の右翼が押しかけ、「日本民族を侮辱するものだ」として威したり、社内を目茶苦茶にしたりして逮捕され、新聞や週刊誌に大きく報じられる。ところが皮肉なことにこれがきっかけとなってベストセラーになる。

今回刊行されたばかりの『家畜人ヤプー』改訂増補《完全復刻版》に寄せられた沼正三の「はしがき」によれば、完結編を含め全四十九章となる『家畜人ヤプー』の完結編の「あとがき」で「日本と日本人が二十一世紀を果たして生き抜けるかについての疑念を表明し、祖国の衰退滅亡を願わぬでもない非国民的心情を告白した」ことが明かされている。

「お前が得意になって妾に喋ってたヤマトダマシイは、<東洋の精神文明>は、どうしたの?」

「クララ。自由平等や男女同権を定めた日本の憲法は、占領軍が作って与えたんです。人権自由は日本人独自のものじゃない。植民地の独立運動を支えた諸民族平等の理念だって、東洋にはなかった。人類社会の指導理念と言えるような大思想はみんな西洋の・・・・・・」(略)「・・・・・・じゃ、お前はイースの階級制度を、ヤプーの差別待遇を認めるのね。イースの白人に無条件降伏するのね」

「そう、その<無条件降伏>です(略)」

「S&Mスナイパー」誌に今年三月号まで三十八回にわたって掲載された「続家畜人ヤプー」の最終章「無条件降伏」の中に、かつての恋人同士である主人公クララと麟一郎とのこんな会話もあるのだが、これもそんな”非国民的心情”と対応しているのだろう。日本民族派を強く刺激するものはこの作品に一貫して流れているようだ。これらについて天野さんはこういう。

「人権や民主主義というのは、全部手とり足とり西欧人から教えられたもの。何か十分に咀嚼しないうちから、自明のこととして民主主義のお通りだ!というのはいやですね。人命は昔は鴻毛よりも軽かった。だから喜んで死ねるということになっていた。それが途端に地球よる重いと。納得できないですよ」

そしてマゾヒズムの世界観については、こんなふうに語った。「昔、若者たちが日本から出て初めて日本が分かったように、宇宙飛行士が地球から飛び立って初めて地球の姿を発見するように、正常な世界を飛び立って異常者になることによって、正常なる世界が見える。これは天動説と地動説との違いであるとも言える。科学史上は天動説が打ち破られて地動説が常識になったけれど、心情的にはなかなか天動説から抜け出せない。あくまでも中心はこちらにあるという考え方。だが地動説というのはこちらは片片たる辺域であって、中心は彼方にある。彼方に吸収される部分としてこちらがあり、生きている。頭の上での理解ではなく、そういう皮膚感覚をマゾヒズムというんです。そういう巨大で、無限な時間だとか、空間だとか、外側にあるものが中心だという感覚なのです」

また天野さんはこんなふうにも語った。

「日本の大革命を志した吉田松陰が、まだ日本国というものが現実にはありえない時に、つまり維新期の革命家の前に日本国がSF的な世界としてあった時、その統一されたSF的日本国家への願望のためには、長州藩の一つや二つなくてもかまわないと言っています。長州藩や薩摩藩に対して当時の人々は今の人が日本国というものに持つのと比べものにならないほどの帰属意識を持っていたはず、それを超えて夢みたいな幻の国の誕生のためにはそれがなくてもいいと言っている。そうでなくては革命なんかできはしません。宇宙飛行士が宇宙からみたら国境なんかなかったという発見と吉田松陰の描いた夢は同じです」

「・・・・・・と沼は言うのですが」・・・・・・昔の新聞や雑誌の切り抜きを見ると、天野さんはしばしそういう間接話法を使っていたようだ。しかし、二時間近いインタビュー中、一度も天野さんはそんな間接話法を使用しなかった。沼正三さん本人が語る語り方にほぼ近かった。

そして、「ご紹介します。沼正三さんです」と最初に紹介してくれた康芳夫さんがインタヴュー中、私の横にいて天野哲夫さんが沼正三であることを何度か述べてくれた。その康さんは『家畜人ヤプー』が都市出版社から刊行された時以来この作品とかかわっている人なのだ。しかし、彼はネス湖の怪獣探検隊を組織したり、ハイチで日本人空手家とベンガル虎との闘いを企画したりする有名プロモーターで、日頃は我々の平板な価値観の紊乱者である康さんを私は愛する一人であるが、こういう場合は『虚業家宣言』という著書もあり、「ホラを実に転化させる。この醍醐味がたまらない」と豪語する氏からの情報はますます私の頭の中を攪乱させるばかりだった。

・・・次回更新に続く

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