虚業家 康 芳夫氏 この世はフィクション楽しむだけ

こう.よしお 1937年5月、東京都生まれ。64歳。カシアス・クレイ(モハメド・アリ)の世界ヘビー級公式戦の日本開催などで、東大卒の異色呼び屋として脚光を浴び、その後奇想天外プロデューサーに"脱皮"。出版プロデューサーとしても奇書「家畜人ヤプー」などを手掛ける。実現が幻に終わったイベントには「アミン大統領対アントニオ猪木」「人食いトラ対空手」などもある。

異端の肖像「虚業の狭間で」:東京新聞(2002年(平成14年)5月2日 木曜日)

六十五歳の誕生日を間近に控え、自称虚業家、康芳夫氏は、何だかご機嫌だった。

「資本主義を支え、正業の最たるものと思われていた銀行が、実は一皮むいたら虚業の最たるものだと今になって分かってしまった。ペイオフで預けた金が戻ってこないなんて、究極の詐欺なんですから。従来の詐欺師なんて問題にならない。虚業家こそ今の時代の最先端で、誇るべきビジネスなんじゃないか」

銀行にさかのぼること四十年、康さんの「虚業家」歴はものすごく長い。

<人は私を"ホラ吹き"と呼び、"虚業家"と名付けた。結構だ。私は"ホラ吹き"だ。"虚業家"である。考えてみてくれ、荒廃と混乱が支配するこの時代、管理社会の閉塞(へいそく)状況のなかで、人間が窒息寸前の現代、"虚業"こそ男の仕事なのだ>

著書「虚業家宣言」のなかで、高らかにうたったのは一九七四年のことだった。

この時点ですでに、康さんは大きな"ホラ"をいくつか吹きまくっていた。ドイツ人とポーランド人を黒く塗って仕立てた「アラビア大魔法団」なんていうので国内で稼ぎまくった時期もあったらしいが、何といっても、英国ネス湖でのネッシー探検隊だ。七三年、現東京都知事の石原慎太郎氏を総隊長にした十一人の調査隊が結成され、魚群探知機まで使う大掛かりな現地調査を実現したのだ。しかし、見つかったのは、体長八◯センチの大ウナギだけ。

東大卒業後に興行の世界入り

<とうとうネッシーは、その影さえ見せてくれなかった。だが、私の心は意外なほど明るかった。私は"ホラ"一つで、二億円近い金を動かしたのだ。私はネッシーがいるのかと問われれば、いると答え、いないのかとたずねる人には、いないでしょうねと答える。私にとってネッシーがいようがいまいが、もはや問題ではないのだ>(「虚業家宣言」)

七六年には「サルとヒトの混血児」との触れ込みで、謎の類人猿オリバー君を来日させる。その後も世紀の凡戦として名高いモハメド・アリ対猪木や、ノアの箱舟探索プロジェクト・・・。ある一定の年齢以上の人々の記憶の中に、原色のしおりのように挟まれた出来事の陰には、この不思議な風体の長髪の人がいたのだ。

康さんは東大卒業後、すぐ興行の世界に入った。

「父が医者なので、自分も医者になろうと思った時期もあった。精神科の医者になろうかと。狂気と正気をとことんまで突き詰めてやろうと思ってた。でも自分の大学の医学部は難しすぎるし、京大では遠すぎる」。代わりに飛び込んだのが「虚」と「実」の狭間(はざま)の世界だった。

「ネッシーやオリバー君、猪木君対アリもすべて虚実皮膜の間の話。虚と実の境目が何かをいつも考えている。その周辺を動き回って、境目を取っ払い、混然一体とすることが大事だなあと。この世の中っていうのはひからびた状況で本当にくだらないわけで、(虚と実の狭間を)埋めてやりたいというサービス精神。自分も楽しんでいるし」