『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より
三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎
「普段はちゃんと背広を・・・」
さて、彼との出会いである。
ある日、いきなり彼から電話がかかってきた。昭和三十一年の四月か五月のことである。
「沼ですが、用事があって上京しました。これからお宅に伺ってかまいませんか」
当時、世田谷区北沢にあった私の家を訪ねてきたのは、その日の夜か、翌日の夜だったと思う。
彼は、自分が文通を続けている沼正三であることを証明するために、私の投函した手紙の束を四、五通持参してきた。
「飯田からわざわざおいでいただいて・・・・・・」というふうなことを私がいったのだろう。彼は、こういった。
「飯田なんて、なんにも楽しみのない所ですからねえ」
第一印象は、いかにも真面目そうな、という感じ。その頃はまだ、ロッキード事件も起きていないけれど、今でいえば丸紅の伊藤宏を少し細くした、中肉中背の眼鏡をかけた人物であった。
今でも記憶している彼のセリフがある。その日、彼はジャンパーを着て現われたのだが、
「ぼくは普段はちゃんと背広を着ているんですよ」
弁解するかのごとく、そういったのだ。
一般の人は、この言葉を聞いて、
「ははーん、この男は、背広を身につけてする職業についてるんだな」
と解釈するだろう。しかし、われわれならもう一つ別の推理をする。
「ひょっとすると、今日、プレイする機会があるやもしれぬので、わざと汚い服装をしてきたんだな」
いま少し説明を加えると、マゾ性癖の一つにコプロラグニー(排泄物愛好症)というのがある。より直接的表現でいえぱ、舐糞症である。つまり、彼が汚い身なりでやって来た裏には、私の妻の排泄物を頂戴する恩恵に浴するかもしれぬ、といった期待があったとも考えられるのである。
実際、彼は私の妻に会えるのを楽しみにしていたらしい。いや、彼の来訪の主たる目的が、私の妻に会い、あわよくば彼女とプレイしてみたい---というところにあったにちがいない。その証拠に、来訪直後に彼から来た葉書には、
<奥様にお会いできなかったのが残念でしたが・・・・・・>
と記されている(彼と私の妻の接触については、すぐのちにふれる)。
当時、私ほ結婚したばかりであった。女房は十八歳で、しかも白人の血が混じっている。夫である私の口からいうのも変だが、白人崇拝主義者の彼が私の新妻を一目見たがったのも、『家畜人ヤプー』の読者ならすぐに合点がゆくと思う。
しかしながら、彼は女房とは会えずじまいであった。一度、女房がお茶を運んできたのだが、そのとき彼はうしろ向きだったのである。きっと女中が運んできたくらいに思っていたのであろう。
・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事・・・連載5:一睡もせずに原稿を読む】に続く