康芳夫

「西南戦争」「二・二六事件」に関して、執筆中の件メッセージしたが、内容に関する追加情報

前回も「西南戦争」「二・二六事件」に関して、執筆中の件メッセージしたが、内容に関する追加情報は以下の通り。

幸徳秋水は大逆事件で処刑され、一方西南戦争で自決した西郷隆盛は上野の森に建立銅像として蘇った。

何故か。

今盛んな田中角栄ブームと相似しているところがいっぱいある。

片や大逆罪、片や刑事事件被告。

然し死後今日に至るまで少しも人気衰えるところなし。正に国民的英雄そのもの。流石の明治大帝も国民的英雄人気を前にして大逆犯罪者の銅像建立させざるを得なかったということか。。明治大帝が西郷人気にいらだったのは間違いない事だろう。いずれにしても「西南戦争」に関する「ナゾ」は余りにも多すぎるくらいだ。

名君、島津成彬が生きていたら一体どうゆうことになっていたのか。前回もふれたとおり西郷軍が勝利していたら一体どうゆうことになっていたのか。明治大帝の命運及び大日本帝国の命運は如何に。

前記の「西南戦争」に関する北一輝の「判断」はそこら辺の事を考えた故かも知れない。

もう一つの大きな疑問。何故誰も、明治大帝 VS. 西郷の軋轢を「仲介解決」できなかったのか。勝海舟、福沢諭吉、その他は何故黙り込んだのか。明治大帝に「諌言」するのが怖かったのか。

だとすれば勝も福沢も所詮「小物」ということになってしまう。

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二・二六事件、西南戦争執筆構想:明治憲法発布後のこの二大クーデター事件の「真相」は小生しか語れないだろう

西南戦争の「真実」の究明が、何故やっかいなのか、それはまぎれもなく明治大帝 VS. 西郷隆盛のデスマッチだったからだ