◆衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎
『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より抜粋
時間と空間を超えた一大叙事詩『家畜人ヤプー』の、謎に包まれてきた覆面作家、沼正三。三島由紀夫をして、”天才”と呼ばしめたこの作家の正体を、私はいま、東京高裁民事四号法廷の裁判長席に、二十六年ぶりに見い出した!
戦後の一大奇書『家畜人ヤブー』を読んだことのない方も、その書名だけはご記憶であろう。
昭和三十一年、SM雑誌『奇譚クラブ』誌上において連載が始まった当初こそ、故・三島由紀夫は別として、一部の好事家が注目したにすぎないが、四十五年に都市出版社から単行本が刊行されてみると、俄然、世間の耳目を集めた。
社会的認知を受けたか否かはともかく、サドだのマゾだのが流行語となり、大手をふって歩きだしたのも、『家蓄人ヤプー』のお蔭といって差しつかえない。
この”ヤプー・ブーム”ともいうべき流行現象は、”翌々四十七年の「角川文庫」入りで頂点に達する。
連載の舞台となったのは、大阪で細々と出版を続けていた曙書房の『奇諏クラブ』。一般の眼にはふれにくい、その道の専門誌にすぎない。その後、ある大手出版社から単行本化の動きはあったが、これも、のちに詳述する経緯により、陽の目をみることなく立ち消えとなってしまう。
その意味では、角川書店という大手出版社から、しかも「文庫」の一冊として世に出されたということは、”ヤプー・ブーム”がブームとしてでなく、戦後の一つの「文化」として定着したと考えてよいだろう。
ところで、『家畜人ヤプー』がかかるセンセーションをまき起こしたのは、SF仕立てのサドマゾ小説という内容もさることながら、作者が杳として知れない−−−いわゆる匿名作者の手になるものであったことによるところが大きい。
一応「沼正三」なる作者名になってはいるのだが、誰もその正体はおろか、居所も知らない。その作品から察するに、該博な知識を縦横に駆使しているところはタダ者でなかろう、というわけで、三島由紀夫を始め、あまたの著名作家が作者に擬せられた。
女流作家の倉橋由美子氏は『マゾヒストM氏の肖像』なる中編小説(ノンフィクション?)に、「現在は、その外郭団体に付属する研究所の主任研究員として出向中の、ある官庁の役人」であるマゾヒストM氏を描き、
<その後しばらくして、だれだかわからない人物が書いたといふ長編小説が、ある小さな出版社から出て評判になつた。もと《K》といふ雑誌に連載されてゐたものであり、これはマゾヒストによるマゾヒストの小説である。私はこの作者があのM氏であることを疑はない。〉
と書いている。
倉橋氏の推理は、残念ながら見当ちがいであることが私にはわかっているものの、『ヤプー』の作者に対する興味が、ついに純文学にまで影響を及ぼしたわけである。
この「作者探し」が”ヤプー・ブーム”を側面で盛り上げたことは否定できない。
角川文庫版『家蓄人ヤプー』の「あとがき」に、イザヤ・ベンダサンがこう書いている。ちなみにベンダサン自身も、四十六年にベストセラーとなった『日本人とユダヤ人』の匿名作者であることはいうまでもない。
<一読して、この作品は私の批評の範囲外にあると思ったので、書評ないし解説は、辞退したいと角川書店にお願いしたところ、何かの印象があれば、それを書くようにとのことであった。もちろん非常に強い印象は残っているし、ある面では、最も強烈な印象をうけたといえる。しかしこの印象を言葉にするには、やはり相当の時間が必要であろう。〉
同じ匿名作者のイザヤ・ベンダサンまでも巻きこんだかっこうの”ヤプー・ブーム”ではあったが、その正体探しについていえば、いまだに決着がついているとはいえない。
いや、実をいうと、「あいつが沼正三だ」といわれる人物がいるにはいる。その人物自身も、お前が沼正三かと問われて否定するでもなく肯定するでもなく−−−早い話が「沼正三らしく装っている」のだ。
しかし、この男が沼正三でないことを私は知っている。私は、たった一度ではあるけれど、沼正三に会っているのである。
・・・以上『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より抜粋
『家畜人ヤプー』2015年10月末に再演の、月蝕歌劇団代表 高取 英が構成を担当)
<チケット>
45年ぶりに『家畜人ヤプー倶楽部』復活
2015年8月8日(土)開催『家畜人ヤプー倶楽部』
http://peatix.com/event/101342
または