康芳夫

西南戦争の「真実」の究明が、何故やっかいなのか、それはまぎれもなく明治大帝 VS. 西郷隆盛のデスマッチだったからだ

西南戦争の「真実」の究明が、何故やっかいなのか、それはまぎれもなく明治大帝 VS. 西郷隆盛のデスマッチだったからだ。それが故に歴史学者を始めとする諸家が西南戦争の最終的「真実」究明を避けてきたあるいは「真実」にいきつかなかったのだ。

小生はこの問題を最終的に「解明」する。

前回でもふれたとおり、西郷は断固たる態度で西南戦争を闘い敗北し自決した。明治大帝の代理人討伐軍司令官、有栖川宮に彼が送った書状を読めばその事は余りにも明らかである。

これに対し、明治大帝も断固たる対応をしたのだ。これに関し後にかの北一輝がある意味で奇妙な事だが大英断として全面的賛意を表明している。

前回も少しふれたが明治憲法に背き神聖なる天子に背いたのだから討伐されるのは当然の事だが、敗北自決後、上野の森に銅像が建ったのは何故か。若し彼が西南戦争に勝利していたなら明治大帝の命運は一体どうなったのか。

かの丸山真男氏に「忠誠と反逆」という名著があるがここでも西南戦争問題には直接ふれられていない。

ただ福沢諭吉の著作を引用して「忠誠と反逆」の歴史的実体については、丸山真男氏らしい鋭い皮肉にみちた分析が行われているが。

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二・二六事件、西南戦争執筆構想:明治憲法発布後のこの二大クーデター事件の「真相」は小生しか語れないだろう