わが人生を振り返る(第八回一水会フォーラム 講演録)2:月刊レコンキスタ 平成13年3月1日より
康 そう、三島は楯の会が外部と接触するのを嫌ってね。森田君や阿部君は、創魂出版のスポンサーだった右翼の青年が連れて来たの。小遣いがないというから手伝いをさせてね。森田君は単純明快な男だよ。含む所は何もない。三島が嫉妬してね、僕の所へ行くなと言ったらしい。三島も気が小さい奴だなと思ったよ。
木村 事件の前は素振りみたいなのがありましたか?
康 ない。僕は当時マイアミにいてね、アリとの契約の事で頭が一杯で、新聞を見ても意味が分からなかった。あとでゆっくり読んだら、カアーとなってね。三島に詫びなきゃならないのは、最初僕は遊びの延長だと思ったけど、彼なりに憂国の思いがあったと分かった。『鏡子の家』に書かれているけど、戦後の安定期、全く空虚な時代に入ったという彼の痛切な絶望感を、僕は軽く考えていた。当時から吉本隆明も三島については一切喋ってないね。戦争中は、彼らは熱烈な日本浪曼派の同志だったんだ。
木村 左翼も右翼も、三島さんの行為が大きな転機になって、左翼の人は沈黙しちゃってる状況がある。
康 この間も三島事件三十周年特集の本が出たけど、これといった内容の事を書いてる人は誰もいないね。
木村 康さん流の三島事件の本質とは?
康 遊びではなく、痛切な行為ですよ。その後の右翼運動にどういう効果があったのか分からないけど、左も含めてみんなの胸に深く突き刺さってるんじゃないかな。
・・・次号更新に続く