「毎日が戦国時代」と考え、緊張感を持って生きる 大失敗した時こそ、ジタバタしないで腹をくくれば、道は開ける
戦わないと始まらない興行ビジネスの世界
---康さんといえば、国際プロデューサーとして、世界中の海千山千のタフネゴシエーターたちを向こうに回して、ビジネスの現場で堂々たる戦いを繰り広げてきたことで知られています。そもそも康さんは「戦う」ということをどのように定義されてますか?
康 人間の本能ですよ。競争相手を叩きつぶすのは人間の本能であって、決して消滅することはない。例えば中国と朝鮮と日本は三つ巴で戦っている。中東ではアラブ人とユダヤ人が戦っている。その戦いの中で便宜的に妥協をするということはあるだろうけど、どれが正しいという最終的な答えは、世界中のどこにもないんだよ。だから、どんなダーティな手段を使っても勝たなければダメだ。今の時代は戦いを拒否し、和を尊ぶことが最高の価値観になってしまっている。戦後教育、戦後民主主義によって、皆メンタルな意味で去勢されてしまったんだ。人間が精神的に家畜化されてしまったんです。飼い犬は媚を売るでしょ。でも彼らの本能は消滅していない。ケンカが始まれば凶暴になる。それと同じで、人間の戦う本能が消滅したわけではないんです。
---では、戦う時に大事なことは何でしょうか?
康 僕の商売は敵を倒していかなければ成り立たないようなところがあってね。ケンカの後、敵と仲良くなってしまうこともあるけど、戦わないことには何も始まらない。僕みたいに興行の仕事をしていると、暴力団とケンカになることもある。その時に大事なのは知恵と度胸、つまり腹を据えることですよ。ケンカというのは最悪の結果も待ち構えているわけだから、その時はそれでやむを得ないと覚悟する。そうすれば怖いものは何もない。これはサラリーマンだって同じことですよ。でも、腹を据えれば無我の境地に達することだってできるんです。
---そんな・・・。腹を据えるといったって、「最悪の結果」なんて考えたくもないですし、難しいと考える人が多いと思いますが・・・。
康 もちろん、腹を据えられるかどうかについては、個人差というか、資質の問題はありますよ。といっても、禅寺で座禅を組んだところで、悟りなんて開けるわけがない。あんなのいい加減なもんですよ。そうかと思えば、酔っ払って暴力団とケンカして徹底的に打ちのめされたり、借金取りに脅かされたりすることによって悟ることもある。座禅を組んで禅僧に叩かれても何も変わらないですよ。
---とはいえ、世界レベルの興行ですから、命の危険を感じたこともあると思います。一番、危ないと思ったのはいつですか?
康 モハメド・アリの争奪戦の時ですかね。アリに接触するためにニューヨークであらゆる手段を使ったんだけど、興行権を握っているのは向こうのマフィアでしょう。極東の島国から来た無名のプロモーターが勝手なことをやっていると怒っちゃってね。「ニューヨークにこれ以上いると生きて帰れないぜ」という電話もかかってきたし、ホテル前の路上に駐車しておいたキャデラックのタイヤがナイフで切り裂かれていたこともあった。あいつら、問答無用でいきなり拳銃でドスンとくるんだ。あの時はホント、緊張したよ。何とかアリとの仮契約に結びつけたと思ったら、今度は日本のボクシング界が「あんな若造にはやらない」と言い出してね。僕はその当時、30歳を少し超えたぐらいだったんだけど、そんな年齢的なのは頭から無視してやった。その後、紆余曲折の末にモハメド・アリとマック・フォスターの対戦を実現させたんだけど、結局は腹のくくり方だな。まあ、図々しいとも言えるんだけど(笑)
・・・次号更新に続く