虚業と正業の線引きできぬ

東京新聞(2002年5月2日 収録)より

東京新聞(2002年5月2日 収録)より

いまひとつすっきりしないため、もう一度「虚業家宣言」をひもとく。虚業商法十力条なるものの第六条に「自分をさらけ出すな」とある。「トリックを見破られないためには、よく分からない面を残しておいた方が有利だ」という理由からだ。ここからさらに歴史を積み重ねた煙幕は相当、分厚い。しかも、それはこちらの足元まで忍び寄り、立っている場所まで揺らいでくるから、たちが悪い。

「虚業と正業の線引きなんて単なる定義でしかない。今の状況で線を引ける人なんて、ますますいなくなっている。正気と狂気の境目だってそう」

何はともあれ、二〇〇二年春、康さんは機嫌がいい。「ぼくが五十歳のころですかね、バブルのころには、豊穣(ほうじょう)だけれどフラットな時代が続くのかとやな予感がしてたんですけどね。革命も起きず、どうしようもない時代がずっと続くのかと。そうじゃない時代が来てるから面白くなってきた。宗男疑惑や辻元疑惑なんていうのは、社会の上部構造のひずみの中でできた膿(うみ)の中から出てきた毒虫みたいな話でどってことない。

そんなことより、銀行の化けの皮がはがれたことの方がずっと大きい。資本主義がフィクションョンであることを客観的に証明しちゃったんですから。今まで生きててよかった」

・・・次号更新に続く