原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇 』1969年 No.4より

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より

天下に、”奇書”と称ばるるものの数は少なくはなかろうが、ここに紹介する『家畜人ヤプー』ほどの奇書は、おそらく二つとはないように思われる。

十年ほども前、アングラ雑誌として最老舗の《奇譚クラブ》に、このSF形式の奇妖な小説が、二年間に渡って連載された。《奇譚クラブ》といえばご存じの方も少なかろうし、知っていても、”ああ、あの変態雑誌”とマユを顰められるくらいがオチであろう。だから、あまり人目の届かない何がしか後ろめたきそうした舞台に、なおいっそう奇妖妖奇のゲテモノ小説として『家畜人ヤプー』が登場したことは、ごくごく一部の、限られたその道の好事家の間だけでしか知られなかった。何がしか後ろめたいような負い目を感じながら、それでこそまたそのために真剣に、読者は驚異の目でもってこれを迎え、むさぼり読んだのである。舞台がともあれ、内容形式がどうあれ、『家畜人ヤプー』はまさに大へんなシロモノであったことにはまちがいがなかった。その大へんさを、いちはやく発見して、これを立派に、日の当る形で出版させてやりたいと、頼まれもしない煩わしさを買って出られた最初の人が、まさかとは思いながら、ほかならぬ三島由紀夫氏であろうとは!

発見者にこそ栄光あれ、その目の確かさと、確かなことへの確信と---氏の見識に支えられ、『家畜人ヤプー』は十年ほど前の当時「中央公論社」から出版される運びとなって一歩手前、世情や一般社会風潮の関係から公刊を断念せざるを得なくなった。

「この小説が世に出るには、少なくとも十年は早すぎる」

等しなみに関係者がボヤいた言葉である。ということは、小説のほうが見事に世の中より先行していたということであり、その予験的先見の度合に応じて「ヤプー」は危険であり、人間の空想もこれにきわまるほどにゲテモノであった。三島氏も十年先を見すぎてしまったことこなった。

そして十年がたった。その間、三島氏とは別に、いま二人の発見者がいたことがわかった。澁澤龍彦氏と、そして遠藤周作氏の御両所である。「ヤプー」の評価はこうした先達的発見者諸氏の見識を後ろダテとして再評価され、いつしか”幻の奇書”としての声価が高められ、ついにその機が至ったのか、本誌上に登場する運びとなった。

今でこそ変質者と称ばれるものの世界は、ホモであれレズであれ、サドであれマゾであれ、特にこれを活字面に限ればまさに百花撩乱の喧すしさともいえる。活字どころか、映画に舞台に美術に音楽に、性の解放と称して我遅れじのにぎやかさである。

「ヤプー」の登場は形の上から見れば、そういう時流に乗って、の趣が見られないでもない。「十年早かった」予験的奇書の、十年先がこのとおりの「性解放期」を先見することの予験であるならば、たしかに「十年早い」といわれた当時、関係者の判断はわそろしく的を射て狂いがない。今やその方面のブームといい、そのブームに乗っての登場が、「十年早かった」、その「十年後」の
ここである限りにおいて、正当である。

しかし、「十年早かった」ものが「十年後」に時流に乗り、さらに「十年たてば」その時はもう既に古くなってしまうのであろうか。「十年早い」ということの予験は、決してそういう性格のものではなかろう。実はそれが華々しく本誌に登場できる”性解放の社会背景”を迎えた現在においても、やはりなおもって「十年早い」その内実に変りはない気がする。「十年後」、さらになお「
十年早い」ことが、そのまま「ヤプー」にはついて回る気がする。そのことこそが、実は『家畜人ヤプー』が真実アブノーマルな作品であることを保証するものであり、アブノーマルな程度に応じて発見的であり、予験的である。

・・・原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉:『血と薔薇』1969年 No.4より・・・次号に続く