康芳夫

コロナオリンピック、国家対市民

日本国コロナ対策政治方式は実にユニークであり明らかに欧米型及びロシア、中国、及びその他の後進独裁国家郡のそれぞれの強圧的姿勢と明らかに異なっている。

非常に大まかに云えば欧米先進諸国及び独裁国家郡の強権政治をおよそ半々にミックスした実に日本独特のチャンポン方式だ。

何故か?大まかに云えば次の通りだろう。

政府の典型的日替わり対策に国民が嫌気がさしていることを背景にして政府が強権策に舵を切る決心がつかないことが大きな要因の一つである。その背景には太平洋戦争に於ける政治の強権政治家戦争敗北という無残な形で終わり国民はその苦々しい記憶を決して忘れていないということだ。然しコロナ戦争と太平洋戦争では同じ戦争でもワケが違うと云う考え方も根強くある。

憲法改正を目論むタカ派はこれぞ千載一遇のチャンスとばかり強権政治の復活を狙っていると先述した通り、太平洋戦争に於いてファシズム軍国強権政治の犠牲になったと信じきっている。いわゆる市民層は強権政治を拒否する。

ただ欧米の先進市民国家がコロナ戦争に対応して極めて強権的政治を実行し、大多数の市民層側もそれに応じているという客観情勢がある。

小生は両者をたして二で割るといういわゆるチャンポン政治をここで推奨するつもりはないがコロナ戦争と太平洋戦争は本質的に意味が違うが基本的には日本独自の方式でいくしかないのではないか。

そして、欧米の先進国家、一方では先進後進独裁国家郡がいってみれば密かに冷笑を浮かべながら日本の独自方式の行くつく先を見守ってるのだ。