家畜人ヤプー【ポーリンの巻】より

隠遁作家のパフォーマティヴ:畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その8

もっとも、ことがたんに人種問題に終始するなら、『家畜人ヤプー』という小説もさほど刺激をもたらさず、たんに現代版『ガリバー旅行記』として寓話扱いされていたにちがいない。本書が与える真の刺激は、しかしここでの「家畜」が寓喩的どころか、そもそも比喩的ではない部分に求められる。そもそも日本語で「畜生」といえば、それはむしろ比喩=慣用表現としてのたんなる罵声として通用してきたわけだが、あらゆるSFの例にもれず、『家畜人ヤプー』で沼正三が実験したのは、従来比喩的でしかなかったものを字義的に実現させるアイロニーである。麟一郎がクララの「登録によって畜生にされた」ばかりではない、正式に「クララに飼育される家畜となった」というのは、その意味だ(完結編、六三二五頁)。

そのうえ、『家畜人ヤプー』における日本人=ヤプーは、家畜であるとともに家具なのである。原ヤプーがもとの肉体のまま生き長らえるケースのほうが稀であって、イース国のバイオテクノロジーは、徹底した家畜と完全なる家具とのあいだに本質的な相違を見ない。その成果の一端は、目次を一瞥しただけでもおわかりだろう、たとえばトイレを不要にした肉便器(セッチン)や肉反吐盆(ヴオミトラー)のような不浄畜(ラヴアタ)、自慰用の性具として開発された舌人形(クリニンガ)、スキーを体の一部とし人間の乗り物でもあると同時に履物でもあるという動物雪上畜(プキー)、生体縮小機にかけられて佚儒化され、玩具の兵隊や楽団ばりに娯楽製品化されたばかりか、コンピュータ内部にも配置されて機械を有魂化する矮人(ピグミー)・・・・・・。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く

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倉田卓次(東京高等裁判所裁判官):週刊文春(昭和57年 10月14日号)より

倉田卓次(東京高等裁判所裁判官):週刊文春(昭和57年 10月14日号)より

倉田卓次(東京高等裁判所裁判官):週刊文春(昭和57年 10月14日号)

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