康芳夫、赤塚不二夫を語る

康芳夫、赤塚不二夫を語る(1)

赤塚君と僕は毎晩同じところで呑んでいた。2丁目にあったナジャとか、アイララ(ナジャの姉妹店)ってところで示し合わせたわけではないけど、ほとんど毎晩一緒だった。それはタモリ君がまだ売れる前、彼がまだやつの若い衆で居候だった頃。

因みにそのナジャやアイララは当時、売れっ子のいわゆる文化人の溜り場だった。唐十郎君がね、芥川賞とるちょっと前くらい、よくアイララで暴れるんだよ。息子の大鶴義丹と2人で大暴れして店を無茶苦茶に壊しちゃって、後でみんな弁償させられるんだけど、酒癖が悪くてしょっちゅうやってた。

それである日、赤塚君はそこを仕切ってたようなところがあるから、赤塚君が態度がデカいってことでビール瓶で殴られかかったの。今でも覚えてるんだけど、それは誰かが間に入って止めて、タモリ君は机の下に引っ込んで小さくなっててね。そんなような時代ですよ。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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