『家畜人ヤプー』:幻冬舎(アウトロー文庫)

逆ユートピアの栄光と悲惨・・・16

こうして、空中列車の客室の中で三時間がたっていく。馴致椅子の背革の上では、人間とヤプーとの興亡の歴史を夢に学びつつ眠る美女の三時間が、背革の下では、彼女の身体をささえ、快く主人を揺すりつつ、彼女への祈念に心を凝らすヤプーの三時間が・・・・・・

旧文庫版にして六百頁余のこの小説を読みながら、私は恐るべき夢魔の情景を叙していくサドの、同じように無味乾燥な文体を思い浮かべたものだった。

とは言え、第二十五章以下に頻出する一種のもじり遊び(トラヴエステイ)を読めば、作者がどんなに愉しんでいるかは明瞭である。たとえば、「神嘗」「新嘗」に関する語源学的(エテイモロジカル)なもじりに籠められた黒い諧謔を見られるがよい。「神嘗」とは、肉便器(セッチン)たるべく運命づけられたヤプーが、その調教開始にあたって、「神様(白人)のものを嘗める存在たることを誓い、液体固体を一口ずつ味わう儀式」であり、「新嘗」とは、調教終了後、「新しいセッチンとして初めて嘗める儀式」の謂なのだ。又たとえば、次の一首が生理時の清浄作業に従う矮ヤプーを謳った歌であると言えば、著者の御丁寧な解説をまつまでもなく、趣意は明らかだろう。

聖孔(はと)と接唇(キス)なしつる極小畜(かた)を眺むれば
ただ真紅(ありあけ)の経水(つき)ぞ残れる

もう一首引いておこう。

きようよりはかえりみなくておおきみの
しこのみたいといでたつわれは

これは、肉便器(セッチン)化されようとするヤプーが、イース世界での新生の決意を詠んだ歌である。本朝伝統の本歌取を、このようなグロテスクな領域にまで強引に拉し去った人物は、他にあるまい。

・・・次号更新【逆ユートピアの栄光と悲惨:家畜人ヤプー解説(前田宗男)より】に続く

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