『家畜人ヤプー』:幻冬舎(アウトロー文庫)

逆ユートピアの栄光と悲惨・・・1

ジャン・ジュネの作品、たとえば『花のノートルダム』を一読して、私の感得するものは、ある比類ない優しさである。「飛び疲れて、電柱にとまっていたら、風が来て、いら草の溝(どぶ)へ吹き落した、二人の天使だとて、これほど純潔ではない筈です。」---ソドミーの行為果てて、ぐったりと横たわった二人の上に投げ与えられる花束。吐き気を催すような醜悪と汚辱の果てに現われる、このような無垢の色合いを、もしも「優しさ」と呼べるものならば。

乞食、男娼、女衒、泥棒、人殺したちの社会の、あらゆる汚辱や悲惨さを、ペンの下で花々に転化するそのポエジーの原理を、ジュネ自身は、「糞を黄金に変える術」と呼ぶ。

と言っても、私は無聊(ぶりょう)を紛らせる筆のすさびの対象に、ジュネを選ぼうというのではない。私生児として施療院に産み捨てられ、十歳で盗みを働いて以来、密告、窃盗、売淫、等・・・・・・犯罪者としての生涯を、悪と汚辱の中に送りながら、一本のペンを唯一の武器として、魂にまで喰い入ったその悲惨と汚辱を復権させた男---その悪と有罪性をみごと「聖性」にすり替えてしまったジュネこそは、これからとりあげようとする逆ユートピア物語の枕として、いかにもふさわしい人物であると思われたまでだ。

ジュネのように、汚辱のどぶ泥の中にどっぷりと身を沈めて、そのどぶ泥を黄金に変えるという、稀代の詐術に没頭した人物も、確かにいることはいる。だが、現実世界への敵意と嫌厭とは、多く想像界への離脱にむかって人々を駆りたてるのが世の習いではあるまいか?

・・・次号更新【逆ユートピアの栄光と悲惨:家畜人ヤプー解説(前田宗男)より】に続く

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