週刊ポスト(1994年4月22日)より
「それでもネッシーはいる」と主張する「謎の怪人」
四次元”帝国”の住人
島田雅彦
康芳夫には独特の運動神経が備わっている。それは黄河の流域に四千年暮らしてきた中国人が身につけている運動神経なのかもしれない。
黄河の流れは絶えず変わる。この自然を制する者が中国を制することになっている。それはいい換えれば、臨機応変、変幻自在、神出鬼没の運動神経を政治的に発揮することを意味する。農民もまた自然の気まぐれに即応し、何処でも食料生産に従事できるように生きている。華僑の中には農民も多いのだ。彼らは、”帝国”の住人である。”帝国”はこの地球上に偏在している。まさに神出鬼没の四次元空間こそ中国の正体なのだ。
安徽省出身の医者の息子・康芳夫も”帝国”の住人であることの自覚を人一倍強く持っていて、その暗躍ぶりは四次元的だ。それこそ何処にでもあのハロウィーンのような顔を出す。その交友関係はあらゆるジャンルをおおっている。独裁者から猿人まで、官僚からヤクザまで、乞食から小説家まで、その守備範囲は”帝国”と同じくらいの拡がりを持つ。
ところで、私はいつ、どのようにして康芳夫と知遇を得たか?
あれは彼がノアの方舟探しのプロジェクトを始めた頃だった。たまたまトルコ領のアララト山へ旅した私がアメリカのクリスチャンの調査団がでっち上げたノアの方舟漂着の遺跡から土くれや石ころを採取して東京に持ち帰り、彼にプレゼントしたのである。彼は、アジア人の手でノアの方舟伝説の決着をつけることに意味がある、と語っていた。おそらく、ノアの方舟には中国人も日本人も乗船していなかっただろう。しかし、四次元の”帝国”に暮らす者は時空を超えて、ノアの方舟に乗り込むことができるのだ。
康芳夫が手がけるプロジェクトは大風呂敷であればあるほど、その哲学的、歴史的根拠は確固たるものになる。毛沢東やポル・ポトが哲学者であり、文学者であったように、康芳夫もぺてん師以前に哲学者であり、文学者なのである。