『家畜人ヤプー』を出版したローレンス・ヴィアレ氏に聞く

◆産出と排泄ーヤプー的ユートピアに寄せて 荒俣宏(1992年(平成四年)~発行 家畜人ヤプー(太田出版版)より)

産出と排泄ーヤプー的ユートピアに寄せて

糞尿を語れば哲学。

精液と愛液を語れば純文学。

どちらに転んでも、人間が生理的に絞りだす排泄物の特長が、精神的にひねりだす産物のそれにおもしろいほどよく対応する、という現象ほど、好奇心をそそられるできごともあるまい。

たしかに、ウンコとオシッコの出かたは、哲学の生まれかたによく似ている。咀嚼され再構成された思考のカスである哲学が、しばしば無味乾燥な排泄物に重ねあわせられるように。また、哲学は論理という要素から成り立つために、しばしば排泄困難---いわゆる便秘症状を誘起する場合がある。哲学もまた、いきんでひりだすところはいかにもウンコ的である。

一方、体液分泌をその本質とする純文学のほうは、臨界点に到達すると快感が爆発する性愛と同じように、一気にほとばしる。精管が詰まって射精しない、というようなことは、その分野では通常発生しない。そのかわりに、性愛や純文学は、ほとばしってしまったあとは、何も残らない。いっそアナーキーである。その点、哲学は出して身になる。それをひりだした本人を養う。大きくさせる。堆肥がそうであるように。かと思えばまたも対照的に、性愛のほうは自分でなく相手を大きくさせる。ひょっとして、自己を消耗させたあとに、別の生命を誕生させることすらある。

で、この対立しあう哲学と純文学を---いや、排泄の喜びと性愛の愉悦とを---みごと結合させた総合的な生産物はつくれないものだろうか。これまでに多くの作家がこの作業に挑んできたはずだが、『家畜人ヤプー』はまちがいなくその成功例といえる。

筆者は長らく、この長編小説をそのようなものと捉えてきた。今回、三巻を通して解説する任を与えられた機会に、全編を再読してみたところ、この確信はますます強いものになった。まずは性愛のほうから述べる。書くまでもないが、性愛は自分を他人に受けいれさせる技術である。そこで問題になるのは、自分を他人の内部へ運びつける方法そのものであって、自分の「何を」相手へ運搬するかは問われない。いや、そういうよりも、運搬されるものは愛だとか精液だとかといったように最初から決まりきったものだった。だからいつも純文学は行為に熱中する。

・・・以上 2015.11.02発行 NO:0024 家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)より抜粋予告

◆沼正三著『家畜人ヤプー』を出版したローレンス・ヴィアレ氏に聞く・・・週刊読書人:2008年(平成20年)10月10日(金曜日)より

<最大の奇書>の仏語訳を実現

二◯◯六年には「サド賞」を受賞する

一九五二年に刊行が始まった伝説的なSM雑誌「奇譚クラブ」(七七年に休刊)---。団鬼六の代表作『花と蛇』が連載されていたことでも知られるが、四半世紀つづいた歴史の中で、もっとも人々の注目を集め、問題作と言われたのが、作家・沼正三の著した長編SF・SM小説『家畜人ヤプー』であった(五六年より連載開始)。内容をひと言で表わせば、「日本民族が外国人の性的奴隷に堕ちる物語」とも言えるが、マゾヒズムや汚物愛好に関して極限まで描ききっただけでなく、日本の神話や古典に根ざしたストーリーは、三島由紀夫や澁澤龍彦、寺山 修司らによって絶賛され、日本の戦後文学の中で異彩を放つ<最大の奇書>として位置づけられるようになった。七〇年に都市出版から単行本
化(二八章まで)された際には、内容をめぐって、右翼が版元に抗議に押し寄せ、警察が出動する騒動も引き起こした。

その後、『家畜人ヤプー』は、角川文庫版を経て、一九九二年、太田出版より上・中・下巻が刊行、全四九章が完結した。現在は、幻冬舎アウトロー文庫より、装いを新たにし、全五巻が刊行中である。

この物語のフランス語版を自ら企画し、三年前に刊行した(desordress,Laurence Viallet社刊)、出版プロデューサー、ローレンス・ヴィアレ氏が、先月来日した。なぜヴィアレ氏は、五十年以上前に日本の作家によって書かれた小説に惹かれたのか。出版にいたるまでには、どのような経緯があったのか、お話しをうかがった。(編集部)

※ ※ ※

---はじめに、『家畜人ヤプー』という作品の存在を知った時のことをお聞かせください。

ヴィアレ 今から五年前、二〇〇三年のことです。出版関係の仕事をしている日本人の友人と、ロンドンで話をしている時に、『ヤプー』の話になりました。彼女は『ヤプー』に対して、以前から強い興味を抱いていたようで、ストーリーの細部にはじまり、ひとつひとつのキャラクターに関してまで、長時間にわたって、情熱を込めて語ってくれました。わたしがこれまで携わってきた本が、彼女にとって興味を引くものが多く、相談を持ちかければ、おそらく出版にまでこぎつけることができるのではないかと思ったんじゃないでしょうか。

---かなり特異な世界を表現している作品だと思いますが、拒否反応のようなものはなかったのですか。

ヴィアレ まったくその逆で、物語への興味の方が強かったですね。白人女性の世話をしながら喜びを感じるマゾヒズムの話なんですけども、マゾヒズムの言葉の元となった作家マゾッホに似ているというよりは、どちらかと言うと、マルキ・ド・サドに近い世界ですね。サディズムに関して、日本人独自に表現したものであり、作者は、日本のマルキ・ド・サドではないかと感じられました。

---フランス語に翻訳して出版されるまでには、どのような経緯が?

ヴィアレ まずインターネットで、『ヤプー』に関する論文をいくつも読みました。調べていくうちに、この作品が、日本文学の歴史の中で、非常に重要な位置を占めていることを知ったわけです。内容自体は、最初に話を聞いた時から気に入っていましたから、それから翻訳者を探しはじめました。しかし、引き受けてくれる人は誰もいなかった。文体は難しいし、万葉集やいろいろな日本の古典が物語の中に織り込まれていますから、翻訳には向かない。言ってみれば、編集者から編集者へたらい回しの状態です(笑)。最終的に、カルドネル・シルヴァンさん(龍谷大学助教授)にお願いすることにしたのですけれども、彼は、相談を持ちかけると、すぐに翻訳の承諾をしてくれました。

---実際に翻訳が決まってから、第一巻の刊行に至るまでの期間が一年という異例の速さで、『家畜人ヤプー』のプロデューサーを務める康芳夫さんが、「分業したのではないか」とさえ思ったそうです。また、元々フランス文学を専門とする、ある日本の卓越した文芸評論家が翻訳された文章を読み、絶賛したともうかがってます。

ヴィアレ シルヴァンさんは日本語が堪能で、これまでにも、村上龍さんの『ライン』や『共生虫』『トパーズ』『エクスタシー』といった作品をフランス語訳されている方で、西田幾多郎の『場所的論理と宗教的世界観』まで訳している、優秀な翻訳者だと思います。わたし自身、読みながら、大変興奮を覚えましたし、出来上がりには非常に満足しました。大作を翻訳出版する初めての機会で、手探りでやってきましたが、正直、ほっと安心しています。

---二〇〇五年の九月に第一巻が刊行された時の反響はいかがでしたか。

ヴィアレ 最初は知り合いのジャーナリストや書店の人たちに読んでもらったんですけれども、概ね好意的な感想を述べてくれました。新聞などの評論記事にも恵まれましたし、「ル・モンド」の一面で取り上げてくれたんですよ。「日本の戦後小説の代表作が翻訳された」と紹介され、「スイフトの小説世界のようである」と、テキストの面白さが強調された論評でした。第一巻のあと、翌年に第二巻が発売されて、その時には、サド賞をいただきました。

・・・以上 2015.11.02発行 NO:0024 家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)より抜粋予告

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月蝕歌劇団創立30周年記念『家畜人ヤプー』

月蝕歌劇団創立30周年記念『家畜人ヤプー』

月蝕歌劇団創立30周年記念(連続公演 第三弾)

2015年10-11月 月蝕歌劇団 ザムザ阿佐谷

第84回本公演

家畜人ヤプー

原作◎沼正三 脚本・演出◎高取英 音楽◎ J・A・シーザー

日本人が家畜人とされるイース帝国とは何か?
皮膚強化装置・尿洗礼・畜人犬
引き裂かれた恋人
麟一郎とクララの運命は?

2000年月蝕歌劇団によって
初めて演劇化され話題を呼んだ
戦後文学・最大の奇書
三十周年記念に三たびの上演!

詳細 月蝕歌劇団公式ホームページ

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