<薔薇画廊>ハンス・ベルメール・・・解説 桑原住雄(4)
シュールレアリスムの主題の殆んどが性欲に集中してきたことは言うまでもないが、ベルメールの世界に展開される性欲ほど優美で典雅な姿をぼくは知らない。十九世紀の世紀末をあれほど優美にやさしく飾りたてた、あのアール・ヌーボーの美学をベルメールはふんだんに駆使して、ぼくたちの乾いた眼を絢爛と欺いてくれる。いや、欺いてくれると言ったは誤りであろう。日常の光景に馴れすぎて、すでに盲いてしまったぼくたちの視覚に、真実の美を突きつけてくれると言うべきであろう。ベルメールの画面に登場する美女の豊かな乳房は、その裾を波打たせながら、まるで薄紗のように拡がり、その末端は美しい快楽の円みのうちに一点の暗部に収斂されてゆく。暗部の周辺にこまかい襞の重層をめぐらせ、その神秘の渕に幻視の触手は誘いこまれる。子宮に直結するその体腔は、無限の歓誘と拒絶の交錯の彼方に、めくるめく逸楽の輝きを用意しているはずだが、ベルメールは、このうえない優雅に洗練された描線で、それを記号化している。ルイ王朝風の結いあげた頭髪が、いつの間にか女の足の裏になっていたり、花びらがヴァギナに転化したり、また着衣の曲線の束がペニスになっていたりする手法はフロイトとアール・ヌーボーの二重映しと言えるものだが、この手法の前提にあるのは、青年期に彼が熱中したという人形づくりと深い関係があるはずである。彼の写真集「人形」の一部をぼくは見ただけだが、木、紙、金属で作った女性の人形は、腹部を中心として上下に陰部と臂部を連絡させ、球状の腹部を基幹として上下が自在に動いたものらしい。この自由自在な転位、または倒置は一般にシュールレアリスムの特権であり、美学であり、ベルメールは、その特権を女体という魔性の生体詩として十分に行使したのである。
・・・次号更新に続く