奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

なぜ、倉田卓次は「沼正三」を名乗って文通したのか?

ところで、では、なぜ、倉田卓次は「沼正三」を名乗って文通したのか?

これに関しては、倉田卓次の「続々 裁判官の戦後史ー老法曹の思い出話」(悠々社2006年刊)に述べられている。

ここで、倉田卓次は、森下小太郎をBとして、天野哲夫をAとしている。

〈その内Aは戦後米国に占領されてからの日本人の白人崇拝を諷刺するマゾ小説の構想を懐き、私は相談を受けた。私はSFも好きで米兵の読み捨てたSF雑誌のバックナンバーやポケットブックから得たものも少なくなかったから、同君の相談してきた大規模な民族・人種ぐるみのマゾ小説の構想に利用できるSFからのアイデアを提供し、今までわが国文学界に例のない「未来幻想マゾ小説」を作れ、と煽った。Bの文通でもこのアイデアを持ち出し言及したが、Aに教えた立場に支えられた詰まらぬ虚栄心から、彼の著作の補助というより私自身が作者になって書くという話にしていた。匿名通信という初めての経験への信頼が支えにあったからのウソだったのだが、これが後に災いを招くことになった。〉

天野哲夫に「家畜人ヤプー」構想の相談を受けアイデアを提供したのが倉田卓次であり、〈つまらぬ虚栄心から〉「沼正三」を名乗ったというのである。

さらに、倉田によれば、天野哲夫は、「マゾヒストの手帖」連載で、「倉田さんの文体を真似てますよ」といわれた。とある。縦線二つを前後において挿入句を示す方式で、ドイツ語が関係代名詞が長い文章になることが多いからだそうである。

・・・次号更新【連載「沼正三」をめぐる謎 高取英】に続く

---

---