『血と薔薇』1969.No4
エロティシズムと衝撃の綜合研究誌
特集=生きているマゾヒズム より「いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート」:平岡正明(wikipedia)
※1969年2月、康芳夫の誘いで天声出版に入り、澁澤龍彦の後任者として『血と薔薇』第4号(天声出版)を編集
◆いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・(連載4)
HM君が血友病だ---健康人は供血せよ、という命題をつなぐ論理はない。論理はないが、ここには、血の求心的な性質をもって何人かの血を組織しようとする論理以前の力がある。事業部はそれを無意識的に知っている。
「われわれ」は健康体であり、新鮮な血をもっているためにHM君にたいしては強者である。君はすくなくともビラの中では沈黙していて、血を欲しがる記号HMとしてしかあらわれていない。「われわれ」は強い---彼は弱い---彼を守れ。ここで主体がチェンジするのだ。健康人は供血せよという事業部の非論理が、彼を守れという「われわれ」の論理にかわる。このビラには、なにかしら、人々のサディズムを触発してはマゾヒズムをひきだし、マゾヒズムを触発してはサディズムをひきだすような論理以前のスイッチみたいなものがうめこまれている。そのカラクリはこうである。
第一に、人間の思考は沈黙にむかうものであること。この場合、思考のはてに沈黙にたどりつくという方向と、思考が沈黙しているものにひきよせられるという方向と、ベクトルが二つある。
第二に、マゾヒズムは計測不可能な領域の横にあること。ここでは血友病という病気である。癩、癌、進行性筋委縮症、白血病などの、業病、原因のわからぬもの、治療法の発見されていないもの、それもことに遺伝性であったり伝染性であったりするものは、そこでこちらの認識がとだえ、本能的に身をひきたくなること。ビラが腹立たしいのは血友病というノー・カウンタブルなもので思想の踏み絵をさせられているような気分になるからである。
第三に血友病の観念的な感染力である。血を供給することによって、供給した方が血友病にかかっていくような幻覚。このビラ一枚が目に見えないところで魔族を組織していくような幻影を見る。
血友病の薔薇の沈黙、海水が流れこみ流れ出ていくイソギンチャクの沈黙、そこでは液体は液体のまま永遠に持続するように見える。
「わいせつな事柄を認識するとは、言葉を変えれば、それらの事象が沈黙のなかにあると認識することに他なりません。・・・・・・奥さん、いいですか、あなたが言葉を検閲して非難すればするほど、けっきょくわれわれは、自分に拒絶された肉体をつくりあげるのです」---ピエール・クロソウスキー「ロベルトは今夜」
「あらゆる種類の啓蒙家がたどる命運は一義的にきまっているといえる。かれらは<大衆>の<発語>にかかわり方向づけることはできても<沈黙>の有意味性を解き放つことはできないからである」---吉本隆明「沈黙の有意味性について」
マゾヒズムは、沈黙のように、対立を解体させるだろうか。黙秘権戦術をマゾヒズムの原理で支えていると考えられるようなできごとが進行中である。
女囚菊屋橋一〇一号。一月十九日、東大安田砦で逮捕された十三名の女子学生一人。現在にいたるも黙秘中。四月中旬までは、彼女についてわかっていたことは、「年齢は二十二、三歳。身長一メートル五二センチ。髪は黒。キッと引きしまった品のよい唇。黒い瞳はすがすがしく、気品さえただよう」という警察側発表と、『夕刊フジ』3月12日号に掲載された一枚の顔写真だけだった。
・・・次号更新【いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・連載5】に続く