康芳夫 虚業家宣言

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◆「オレは忙しいんだ」

さて、しかし『アート.ライフ』が、再建後、どうにもうまくいかないということになったときに、私はクレイのことを思い出したのである。どうせ、何をやっても見込みがないのなら、一つ世界が予想もしなかったようなことをやって、世界中をアッと言わせよう、そう考えた。

「このままでいったらジリ貧で、『アート・ライフ』がツブレるのは時間の問題でしょう。もし、ここで再び倒れるようなことになったら、もう神彰は再起できませんよ。それなら、イチ かバチかやってみようじゃないですか」

事実、あのままでいたら、『アート・ライフ』は早晩、再倒産していたのは、まずまちがいあるまい。

とうとう神さんも、クレイを呼ぶことに同意した。

私はすぐに仕事にかかった。

思い立ったら、その場ですぐ実行に移すのが私のやり方だ。また、そうでなくてはチャンスは逃げてしまう。一度、去ったチャンスが再び回ってくるなどという確率はゼロに等しい。タイミング、タイミング、タイミング。タイミングを失したら、どんなに高価な料理だって、食えなくなるのと同じだ。

私はアメリカにいる旧知の弁護士・ロバート・アラム(この試合の縁で、彼は現在クレイの弁護士兼プロモーターになっている)に、クレイの弁護士に接触するよう依頼した。

ニグロの弁護士・チャンシー・エスタリッジ、彼はクレイの弁護士でありながら、クレイに対して当時絶大な影響力を持っていた。

というのは三十九年二月二十六日、あのリストン戦の翌日、突然、クレイは自分がブラック・モスレムの信者であることを宣言したからである。

「良識を持つ者は誰でも、自分の同類とともにありたいと願う。青い鳥青い鳥と、赤い鳥は赤い鳥と。鳩は鳩と。鷲は鷲と。虎は虎と。そして猿は猿と。蟻の頭は小さいが、それでも赤 い蟻は赤い蟻と、黒い蟻は黒い蟻とともにありたいと願う・・・・・・。

私はイスラム教を信ずる。つまり、アラーのほかに神はなく、エリジャー・モハメドこそアラーの使徒であることを信じるのだ。これはアジア、アフリカの黒い肌を持つ七億の人々が信じている宗教である。

人々がそうあれかしと望む姿に、私がなる必要はあるまい。私が誰を選ぶか、それは私の自由である」

有名になつたクレイの『ブラック・モスレム宣言』はこのときに発表されたものである。

話は昭和三十五年にさかのぼる。

カシアス・クレイは口ーマ・オリンピックでライト・ヘビー級の金メダルを獲得し、アメリ力の英雄のひとりとして意気揚々と故郷ケンタッキー州ルイスビルに引き揚げてきた。

街をあげての大歓迎を受け、買ったばかりのローズピンクのキャデラックに乗って、十九歳のカシアス・クレイは勝利感に酔い痴れていた。

だが、ある日、ルイスビルのある一流レストランに行ったときに事件が起こった。首から金メダルを下げたクレイの入場を、そのレストランは拒否したのである。理由は一つしかなかった。

「ユー・アー・カラード」

店のマネージャーは、この言葉を一語一語ハッキリと区切って言った。

「オマエにもわかるように言っててやってるんだぜ」と、その顔に書いてあった。

人種差別であった。

このときの屈辱を、クレイは決して忘れなかったのである。

翌年、クレイはサムエル・メ・サクスンというブラック・モスレムの宣教師に会い、彼の紹介で、ひそかにシカゴに飛び、そこでエリジャー・モハメドと初めて会っている。

ブラック・モスレムは今でこそアメリ力社会に受け入れられているが、当時は狙撃されて死んだマルチン・ルーサー・キング師らによる無抵抗主義の黒人解放運動が圧倒的なカを持ち、最も過激な尖鋭的戦闘宗教団体として、黒人社会の中においてさえ邪教視され、恐れられていた。

クレイはそんな時期にブラック・モスレムに加入したのである。以来、クレイは熱心な信者のひとりであり、後には牧師の資格さえ取っている。

もともとエスクリッジはエリジャー・モハメドの弁護士をしており、その関係でクレイがブラック・モスレムに入信すると同時にクレイの弁護士をも兼ねるようになっていたわけである。同時にエリジャー・モハメドの息子のハーバート・モハメドがクレイのマネージャーになり、それまでクレイについていた名マネージャー・アンジェロ・ダンディはあっさり、クビになっていた(ついでだが、このハーパート・モハメドこそマルコム・X暗殺の犯人と噂されている男である)。

だが、ロバート・アラムを通じて戻ってきた返事は、半ば予想していたとおり、実にそっ気ないものだった。

「アイム。ヴェリィ・ビジィ・アイ・キャント・・・・・・」

「何でおれが極東の日本くんだリまで行って試合をしなきゃならねえんだ」そういうクレイの声が、私の耳に聞こえてくるようだった。

・・・・・・次号更新【私もブラック・モスレムに入信した】に続く

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