五月祭委員長→興行師
今年で90回目を迎える五月祭。その歴史の中には、約半世紀前、斬新な企画の...で東大内外の注目を集めた男がいた。彼の名は康芳夫。東大卒業後は「虚人」を名乗り、アントニオ猪木対モハメド・アリ戦など数々の大イベントを企画して世間をあっと言わせ続けた興行師だ。3年前には「怪優」デビューも果たし、長きにわたり多彩な活動を続ける康さんに話を聞いた。
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大学は、三十二年に一度横浜国大へ入ったが、翌年東大に入り直した。教育学部の教育哲学科である。現在、私をかなりよく知っている連中でも、私が東大を出ているということを疑っているむきは少なくないようだが、まあ、お疑いなら、お手数でも東大の教務課にでも行って記録を調べていただく以外にあるまい。
私にとっては東大を出ていようがいまいが、そんなことは問題ではない。少なくとも、あの時代に、私が東大にいて、東大の学生で私のことを知らない奴はいなかった、それで十分だ。
私がニセ学生ではないかという説はその頃からあった。なにしろ、今なら何の不思議もなかろうが、当時まだ詰襟の学生が多かったキャンパスを、真っ赤なチャイニーズ・ドレスを着てのし歩いていたのだから、誰だって、これが学生だとは思えなかったろう。