私は神彰に接近するために、五月祭以来親しくしていた石原慎太郎に有吉佐和子を紹介してくれるよう頼んだ
昔、神彰という伝説的な興行師がいた。一九六〇年代に、ソ連のボリショイ・サーカスを始め、当時ではまだ珍しかった海外の呼び物を数多く催し、呼び屋の風雲児としてマスコミで話題になった人物である。仕事以外の面でも彼は人気作家である有吉佐和子と結婚したことでまた世間の注目を集めていた。
私の虚人としての歴史はこの神彰との関係から始まった。大学を卒業した私は、東大生なら保障されているような安定した道を選ぶことをしなかった。
プロデューサーとしてかかわった東大五月祭の成功で興行の世界に関心を持った私は神彰に近づき、神の参謀として虚業家・康芳夫の本格的なスタートを切ったのである。それは何よりも神彰が私のプロデューサー像に近いものを持っていたからに他ならない。
私は神彰に接近するために、五月祭以来親しくしていた石原慎太郎に有吉佐和子を紹介してくれるよう頼んだ。彼は快く私を有吉佐和子の家へ連れて行き、紹介してくれた。
「東大を出たのに呼び屋の仕事をしたいという変わった男がいる」というふれ込みだった。
その数日後・有吉佐和子の紹介で私は神の会社「アートフレンドアソシエーション」で早速働くことになった。
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