右翼の殴り込みも宣伝に
康さんと初めて会ったのは七〇年頃のことである。連れて行ってくれたのは先輩の堤尭さん。その頃、康さんは後に火事で焼けたホテル・ニュージャパンに事務所を構えていた。
余談だが、その頃、ニュージャパンには右翼の大物、総会屋、政治家等が事務所を持っており、さながら”悪の巣窟”の感があった。
堤さんが康さんと東京大学同期で仲がよく、この二人に日刊現代社長の川鍋孝文さんが加わると、マスコミの世界でも夜の銀座でも、新宿ゴールデン街でも向う所敵なしだった。
容貌魁偉というのはこの人のための言葉かと思った。道ですれ違った母親に抱かれた赤ちゃんが康さんの顔を見て泣き出したという。
「回想記を出してくれというんで出すことにしたんだけど、何しろ時間がないんだ。誰かゴーストやってくれる奴はいないかとツツミに相談したら、キミを推薦してくれた。やってくれないかね」
その頃、ぼくは『週刊文春』で毎号、特集記事を書いていて、多少は書くことに慣れてきたが、一冊分というと四百字で約二百五十枚、かなりの量だ。が、こんなチャンスはそうめったにあるものではない。初めてやることは面白いに決まっているから二つ返事でやることにした。
蒋介石政府最後の駐日大使の侍医と日本人の母との間に生まれた康さんは東大卒業後、「呼び屋」神彰さんの手伝いをしていた。
戦後初めてドン・コサック合唱団やボリショイサーカスを呼び、飛ぶ鳥落とす勢いだった神さんは、しかしインディ500、ローラーゲーム等で大失敗。それを機に康さんは独立して仕事をするようになる。
その後に康さんがやってきたことを並べただけでもすぐに一冊の本ができてしまう。
六八年 エロと残酷の研究誌、渋沢龍彦責任編集の『血と薔薇』発刊。
七〇年 マゾヒズム小説の極致を描いた恐ろしい小説と三島由紀夫が絶賛した『家畜人ヤプー』を出版(都市出版)。
七二年 カシアス・クレイ VS マック・フォスター戦を東京で。
七三年 トム・ジョーンズの日本初公演。
七三年 ネッシー探検隊を率いてネス湖へ。
『血と薔薇』は稲垣足穂、吉行淳之介、三島由紀夫、武智鉄二、埴谷雄高等、錚々たるメンバーが執筆、四号で廃刊になったがいま、古本屋で揃い五万円くらいの値がついている。
『家畜人ヤプー』を出版した時、中に天皇制を批判的に描いた部分があり、右翼に殴り込まれた。
ふつうならビビるところだが、康さんの神経は違う。
「しめた、これで宣伝になる」
ああだこうだ返事を引き延ばしていると、予定通り怒り心頭の右翼が都市出版へ殴り込んできた。これを朝日新聞が社会面で取り上げ、『週刊新潮』は「右翼の機嫌を損じた小説『家畜人ヤプー』ダイジェスト」と五ページの大特集。とうとう実売は十万部を超してしまった。
「あとで逮捕された右翼の弁護士が来たよ。十万円で何とか示談にしてくれって。右翼に襲われて示談金取ったのってぼくぐらいだろう。しかも大宣伝してもらって」
こういう時の康さんはイキナリ、少年のような無邪気な笑顔になる。
・・・次号更新に続く