伝説の雑誌『血と薔薇』アーカイブス:小説『少女地獄』より火星の女(夢野久作)

『血と薔薇』1969.No4
エロティシズムと衝撃の綜合研究誌

小説『少女地獄』より火星の女(夢野久作)・・・連載5

森栖校長失踪

消え失せた遺書と不可思議な女文字の手紙

去る三月二十六日、県立高女校内に発生したミス黒焦事件以来、謹慎の意を表して三番町の下宿に引籠っていた名校長、森栖礼造氏は、新生徒入学式の前日なる昨一日夕方頃より突然に失踪した事が、校務打合せの為同下宿を訪問した同校女教諭虎間トラ子女史によって発見された。既報の如く森栖校長はミス黒焦事件以来痛く神経を悩まして居たものの如く三番町の下宿に引籠り、鬚蓬々として顔色憔悴していたが、事件発生後一週間目に当る去る三十一日夜、何処よりか一通の女文字の手紙が同氏宛配達されて以来、何故か精神に異状を来たしたものらしく、同下宿の女将渡邊スミ子の許に来り、無言のまま涙を流して頻りに叩頭し、又は二階より往来へ向け放尿しつつ大笑するなど、些しも落付かず、夜半に大声を揚げて怒号し、彼奴だ彼奴だ。黒焦は彼奴だ。火星だ火星だ。悪魔だ悪魔だ。などと取止めもなき事を口走り、女将スミ子を驚かした由で、その翌日の三月一日は疲労のためか終日臥床して一食も摂らず。同夜十時頃、前記虎間トラ子教諭が訪問した際も、依然として就床し居るものと思い、女将スミ子が起しに行きたるに夜具の中は藻抜の空となり、枕元に破封されたる長文の女文字の手紙と並べて虎間女史に宛てたる遺書が置かれたるを発見したるより大騒ぎとなり、県当局、警察当局、同校職員総動員の下に同校長の行方捜索を開始したが、今朝に到るまで同校長の所在は不明で、ただ目下、同校内玄関前に建設の予定にて、東都彫塑家、朝倉星雲氏の手にて製作中と伝えられ居りし同校長の頌徳寿像の、塵埃と青錆とに包まれたる青銅胸像が、白布に包まれたるまま同下宿、森栖氏専用の押入中より転がり出で、人々を驚かしたのみである。因に、同校長の枕頭に在った二通の手紙は其後、混雑に紛れて何人にか持去られたるものの如く、女将スミ子、及、虎間女教諭も其の行方を知らず。二人とも内容を関知せざる由にて、前記銅像の件と共に森栖氏の失踪に絡まる不可思議の出来事として、関係者の注意を惹いて居る。のみならず前記森栖氏の口走りたる言葉より推して、右二通の手紙は或はミス黒焦事件の秘密を暴露する有力なる参考材料なりしやも計り難く、これを衆人注視の中に持去りたる神変不思議の人物こそ、ミス黒焦事件の有力なる嫌疑者に非ずやとの疑い、関係者間に漸次高まりつつ在り。万事は森栖校長の行方と共に判明すべしとて、その方の捜索に全力を挙げて居る模様である。尚同校長を見知り居る駅員の言に依れば、同校長らしき鬚蓬々たる無帽の人物、大阪までの切符を買いて終列車に乗込みたる形跡ありとの事にて、その方面にも手配が行われて居る由。

・・・次号更新【小説『少女地獄』より火星の女(夢野久作)・・・連載6】に続く