小説『少女地獄』より火星の女(夢野久作)・・・連載14

『血と薔薇』1969.No4:エロティシズムと衝撃の綜合研究誌

県立女学校に入ってからは、そんなに露骨な侮辱を受けませんでした。けれどもそこにはモットモット深刻な恥辱と嫌悪が私を待っておりました。

同級のうちでも私と正反対に一番美しい、一番よく出来る、或るタッタ一人を除いたほかの人々は、先生も同級の人達もみんな私に優しい言葉一つかけて下さいませんでした。みんな妙に私から遠くに離れて、奇妙な、冷たい笑い顔をして、私を見ておられるように感じました。御自分たちの御綺倆と、学校の成績ばかりを一所懸命に争ってお出でになる方には、私が何となく劣等な、片輪者のように思われたのでしょう。私とお話なさるのを一種の恥辱か何ぞのように考えておられるようでしたが、それでも対抗のテニス、バレーボール、ランニングなぞが近付いて来ますと、先生も級友も、上級の生徒さんまでもが皆、私の周囲に寄ってたかってチヤホヤされるのでした。私を神様か何ぞのように大切にかけて、生卵や果物なぞを特別に沢山下すって御機嫌を取りながら、否応なしに競技に引っぱり出されるのでした。私がノッポの、醜い姿を恥かしがっている気持なんかチットも察せずに・・・・・・貴女は全校の名誉です・・・・・・とか何とか繰り返し繰り返し言われるのでした。

けれどもその競技がすんだあくる日になりますと、最早、誰一人私を見向いて下さらないのでした。私という生徒がいたことすらも忘れておられるかのように遠退いてしまわれるのでした。

私は私が他校の選手と闘ってグングン相手を圧倒したり、引き離したりして行きます時に、手をたたいて狂喜される先生や生徒さん達の声からまでも、たまらない程の侮辱を感ずるようになって来ました。私は便所の中で下級生の人達がコンナ会話をしているのを聞きました。

「スゴイわねえ火星さん」

「まあ・・・・・・誰のこと・・・・・・火星さんて・・・・・・」

「あら・・・・・・御存じないの。甘川歌枝さんの事よ。あれは火星から来た女だ。だから世界中のドンナ選手が来たって勝てるはずはないんだって、校長先生が仰言ったのよ。だから皆、この間っから火星さん火星さん言ってんのよ」

「まあヒドイ校長先生・・・・・・でも巧い綽名だわねえ。甘川さんのあのグロテスクな感じがよく出てるわ」

それでも気の弱い私は又も、欺されたり持ち上げられたりして、年に何度かの競技に引張り出されるのでした。心のうちにある冷たい空虚を感じながら・・・・・・。

学校の運動場のズット向うの、高い防火壁に囲まれた片隅に、物置小舎になっている廃屋があります。モトは学校の作法教室だったそうですが、今では壁も瓦も落ちて、ペンペン草が一パイに生えて、柱も階段も白蟻《しろあり》に喰われて、畳が落し穴みたいにブクブクになっております。

私は課業の休みの時間になりますと、よく便所の背面から弓の道場の板囲いの蔭に隠れて、あの廃屋の二階に上りました。あそこに置いて在るボロボロの籐の安楽椅子に身を横たえて、上半分骨ばかりになった雨戸越しに、防火壁の上の青い青い空をジイッと眺めるのを一つの楽しみのようにしておりました。そうして私の心の奥底に横たわっている大きな大きな冷たい冷たい空虚と、その青空の向うに在る、限りも涯しもない空虚とを見比べて、いろいろな事を考えるのが習慣のようになっておりました。それも最初は、自分の片輪じみた大きな姿を運動場に暴露したくない気持から、そうしたのでしたが、後には、それが誰にも話すことの出来ない私の秘密の楽しみになってしまいました。

私の心の底の底の空虚と、青空の向うの向うの空虚とは、全くおんなじ物だと言う事を次第次第に強く感じて来ました。そうして死ぬるなんて言う事は、何でもない事のように思われて来るのでした。

宇宙を流るる大きな虚無・・・・・・時間と空間のほかには何もない生命の流れを私はシミジミと胸に感ずるような女になって来ました。私の生まれ故郷は、あの大空の向うに在る、音も香もない虚無世界に違いない事を、私はハッキリと覚って来ました。

大勢の人々は、その時間と空間の大きな大きな虚無の中で飛んだり、跳ねたり、泣いたり笑ったりしておられるのです。同窓の少女たちは、めいめいに好き勝手な雑誌や、書物や、活動のビラみたようなものを持ちまわって、美しい化粧法や、編物や、又はいろいろなローマンチックな夢なんぞに憧憬れておられます。甘い物に集まる蟻のように、または、花を探しまわる蝶のように幸福に・・・・・・楽しそうに・・・・・・。

私にはソンナものがスッカリ無意味に見えて来ました。私の心のうちの虚無の流れと、宇宙の虚無の流れが、次第次第にシックリとして来ました。そうして私は放課後、日の暮れるまでも、あの廃屋のボロボロの籐椅子の上に身体を伸ばして、何となくニジミ出て来る淋しい淋しい涙で私自身を慰めるのが、何よりの楽しみになって来ました。

けれども、そうした私の秘密の楽しみは間もなく大変な事で妨げられるようになりました。

あの半分腐れかかって、倒れかかって、いろいろなガラクタと、白蟻と、ホコリで一パイになっている廃屋は、ちょうどあの海岸通りの四角にスックリと立っている、赤煉瓦の天主教会が校長先生のいろいろな美徳のホームでありましたように、ずっと以前から校長先生のいろいろな悪徳の巣になっているのでした。校長先生が模範教育家としての体面をあらゆる方面に保たれながら、その裏面に、いろいろなお金や女性たちに対して、想像も及ばない悪知恵を働かしてお出でになるためには、あの廃屋が是非とも必要なのでした。・・・・・・ですから校長先生は、どうしてもあの廃屋を取り毀すことをお好みにならなかったのでしょう。「藁屋根は防火上危険だから」と言って、警察から八釜しく言って来ても、物置の建築費がないからと言って、県の当局の方を長いことお困らせになったのでしょう。

そんな因縁の深い、悪徳の巣の中とは夢にも知らないで、毎日毎日修養に来ておりました私の愚かさ・・・・・・その私のグラグラの籐椅子の下から間もなく、どんな悪魔の羽ばたきが聞こえて来ましたことか。そうしてその悪魔の羽ばたきは私を、逃げようにも逃げられないこの世の地獄の中へ、どんなに無慈悲にタタキ落して行きましたことか・・・・・・。こんなに黒焦になってでも清算しなければ清算し切れないほどの責め苦の中へ、私を追い込んで行きました事か・・・・・・。

その羽ばたきの主は、真黒い毛だらけの熊みたような校長先生と、眼も口もない真白な頭を今一つ背中に取付けておられる川村書記さん・・・・・・それから今一人、後から出てお出でになる虎間トラ子先生・・・・・・ヨークシャ豚のように醜いデブちゃん・・・・・・私たちの英語の先生・・・・・・この三人があの廃屋に人知れず巣喰っていた悪魔なのでした。

・・・次号更新【小説『少女地獄』より火星の女(夢野久作)・・・連載15】に続く