エロと残酷の研究誌『血と薔薇』
私は出版の世界に乗り出すことに決めた。
というのは『アート・ライフ』の末期、私は出版にも手を出し、そのわずかな経験で、出版の世界も、企画が勝負であり、資金はさほど必要とせず、多分に”虚業”的性格を持っていることを知っていたからである。一発、当てれば、億の金も夢ではない。
『アート・ライフ』でやっていたのが『天声出版』である。
吉行淳之介氏などと、戦後文壇史に残る同人雑誌『世代』をやっていた根っからの編集者・矢牧一宏氏、後に『薔薇十字社』を起こした内藤三津子女史など優秀なスタッフが揃っていた。
寺山修司の『絵本千一夜物語』、ベストセラーとなった『長沢延子遺稿集---友よ私が死んだからとて』など、いい本を厳選して出し、少なくとも赤字にはならない程度にやっていた。
『天声出版』という奇妙な名は私がつけた。
「私が言ってることはホラじゃないんだよ、天の声なんだよ」
そういうつもりだった。
『朝日新聞』の天声人語に対するパロディの意味も、むろんあった。万年文学青年風の矢牧氏など、大いに、照れたものだが、結果的にはこのネーミングは大成功だった。
『天声出版』では、私はもう一つ特筆すべき仕事をしている。今後、日本雑誌史などというものが、もし書かれるとしたら 必ず、記録されるであろう雑誌を創刊したのである。『血と薔薇』がそれである。渋沢竜彦責任編集、定価千円、”エロティシズムと残酷の研究誌”と銘打った、豪華ケンランたる雑誌だった。
三島由紀夫、稲垣足穂、埴谷雄高、吉行淳之介、大場正史、飯島耕一、種村季弘、渋沢竜彦、塚本邦雄、高橋睦郎、加藤郁乎、武智鉄二・・・・・・。
創刊号の目次に並んだ主な執筆者の顔ぶれから考えても、その方面では、その頃の最高レベルのものを集め得たと、私は自負している。とにかく、異色の雑誌だったことだけはまちがいない。
そして、これが、当時としては、非常に高い定価をつけたにもかかわらず、売れに売れた。
創刊号は恐る恐る二万部刷ったのだが、アッという間に売り切れ、二号、三号と好調が続いていた。
だが、ちょうど三号目の印刷が終わったとき、”親会社”ともいうべき『アート・ライフ』の経営がおかしくなり、『天声出版』は、その波をまともにくらって、あえなくダウンしてしまう。
そういう事情であったから、『アー卜・ライフ』の倒産で私が一人になったとき、出版をやってみようと考えついたのも、まんざら、場当たり的な思いつきではなかったのである。
峰村クンという若い知人がスポンサーになってくれることになり、新たに設立したのが『創魂出版』。私は”出版プロデューサー”と名乗った。”天声”の次が”創魂”とはシャレにもならないが、このネーミングも私がつけた。創魂には”虚”から”実”を創り出すという私の願いを込めたつもりだ。
「どこかの新興宗教の雑誌みたいだ」などと悪口を言う奴もいたが、けっこういい名だったと思う。少なくとも、未だに『創魂出版』のことを覚えていてくれる人は少なくない。
・・・・・・次号更新【出版妨害を企てた松下幸之助】に続く
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