失敗に終わったロス五輪放映権獲得騒動の真相

暗黒プロデューサー・康芳夫が語る(サイゾー June 2007 より)

暗黒プロデューサー・康芳夫が語る(サイゾー June 2007 より)

---ロサンゼルス・オリンピックのときに、テレビ朝日と組んで独占放映権を獲得しようとしたことが当時(84年)のスポーツ紙で報じられ騒がれましたが、そもそも康さんとテレ朝とのつながりは?

康 当時のテレ朝の専務・三浦甲子二だね。もう亡くなっちゃったけど。三浦って男はもともと朝日新聞の政治部にいたんだよ。朝日新聞社社長の村山(長挙)さんのお嬢さんが運転手と駆け落ちしたとき、それをサルベージ(連れ戻す)したり、そういう裏の仕事でのし上がって、ものすごい権力を持ってた。だから、俺と組んで、民放連合を出し抜き、五輪放映権を獲得しようなんてことも平気でやる男でね。ロス五輪のときは、僕の弁護士経由で、ロス五輪大会組織委員長のピーター・ユベロス(後に大リーグのコミッショナーとなる)と、放映権の交渉ができた。だけど、交渉って駆け引きだから、ピーター側が日本の民放連合に「こういう男(康氏)から、放映権の話がきてる」と言うわけだ。民放連合も僕の後ろに三浦がいることがわかったから、三浦を止めようとした。テレ朝だけが放映権を獲得すると、民放連合とわだかまりを残すし、内部でゴタゴタがあると、今後、日本がオリンピック大会組織委員会につけこまれる。そして最後は、テレビ局に絶大な影響力を持つ電通までもが三浦の説得に乗り出して、彼も降りざるを得なくなったというわけ。まあ、僕には三浦との間に放映権獲得の確認証があったから彼にロス五輪の(民放連合に寝返ったことの)落とし前はちゃんとつけてもらった。民放連合の裏金から出たんだ。額はちょっと言えないんだけど(笑)。

・・・次号更新に続く