上手の手から水が漏れた(2)
1.昭和二十九年から約十年間、私は「沼正三」を名乗る人物と文通を続けた。彼は『家畜人ヤプー』の構想を書き送ってきたこともあれば、私め紹介したドリスなる女性と私を仲介にして手紙をやりとりしたこともある。
2.その後の調べで、私は1.の人物が東京高裁判事・倉田卓次氏ではないかと見当をつけ、倉田氏の最近の筆跡を入手した。
3.1.の人物の筆跡と倉田氏の筆跡を照合してみると、一致した。
4.角川文庫版『家畜人ヤプー』のあとがきの中で、作者は、自分が森下を仲介にしてドリスと手紙のやりとりをしたことを認めた。
---以上1.から4.の事実を重ね合わせて、『家畜人ヤプー』の作者は倉田卓次判事であると結論することに、なんの無理があるというのか。1.から4.は確実な事実だけであり、いわゆる状況証拠なら、ほかにも数限りなく存在する。
いわく、二十六年前に拙宅を訪れたことのある沼氏と、東京高裁法廷で見た倉田氏の風貌とが酷似した。いわく、沼氏の語学力、ことにドイツ語の読解力は舌を巻くほどであり、『ヤプー』の作者にはドイツ語の素養が必要だ。いわく、『ヤプー』の主人公の名前は「麟一郎」であり、倉田氏の親友に「麟一朗」なる人物がいた。沼正三の手紙の発信地が、のちに調べた倉田判事の任地と一致した・・・・・・これ以上述べ立てる必要はあるまい。前稿をお読み下さった読者には、すでに自明のことがらばかりだと思う。
・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎・・・連載26】に続く