「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん):『潮』昭和58年(1983年)1月号

森下君の根拠の曖昧さ・・・・・・(4)

ある日訪れた幻の沼正三が、『女天下(ヴァイベル・ヘルシャフト)』全四巻を一夜にして読破しさったとするが、出来すぎの話である。いかな天才でもあれだけの大冊(私も持っている)を一夜で読破できるか、これはおハナシとして面白くはあるが、それをK氏に結びつけて、その当人だと勝手に決めつけるのは、森下君、堤君の功名心に乗せられて踊る猿回しの猿役に見えてくる。そ
れは早く降りたがいい。その間はチヤホヤされても、後は使い捨てに捨てられるだけである。森下君に、恨みを持つ人が数々いるようだ。いろいろな申し出を受けているが、私は敢えてシャットアウトしている。今回の華々しい一発勝負も、森下君自身の生活の幅を大いに狭くする。第一、私のこれまでの信頼を完全になくしたことが、何よりの痛手であるはずだ。

最後に一言、『ヤプー』の主役が「瀬部麟一郎」であることを、前出の内藤三津君(『諸暑!』ではNさんとしてあるが)の義兄の遠藤麟一朗氏(これも前出、粕谷一希氏『四二十歳にして心朽ちたり』の主人公。『世代』初代編集長)の名を聞き及ぶことで、森下君はその符合に耳を疑うほど愕然としたらしい(第一弾)。

森下君、貴兄はSM、特にM派の大家として任じられているはずだ。当然、レオポルド・フォン・ザッヒェル・マゾッホの代表作『毛皮を着たヴィーナス(ヴェヌス・イム・ペルツ)』をご存じないはずはなかろう。Mといえばマゾッホ、マゾッホといえばMとして、これは切り離せない。

『毛皮を着たヴィーナス』の主人公は、これまたセヴェリンであることぐらい、M派ならずとも分ることである。ましてMを以て任じるなら、瀬部麟(セヴェリン)と、自動的に連想されるのが普通ではなかろうか。麟太郎でもいいが、いかつすぎる。勝麟太郎と連想されても落着きが悪い。セヴェリン→瀬部麟一郎は、天泥盛英(アマディオ・モリエール)のような凝り方はしていない。こんな単純なことに、「耳を疑う」ほどの驚きは、いったい何という醜態であろう。

ともかく、こういう形の論駁は私としても不本意である。自らを低レベルへとしめたくないからだ。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載20】に続く