森下君の根拠の曖昧さ・・・・・・(2)
先にも少し触れた『アサヒグラフ』十月二十九日号の『ヤプー作者は藪の中』に出てくる、私を自分が四歳の時から知っているというY・K嬢は、当時、実際に都市出版の編集者として『ヤプー』出版の実務に携わっていた今は二児の母親である。私の原稿のことは、矢牧君よりも隅から隅まで知り抜いた現揚の女性であった。
あまり触れたくないが、私の手元に、矢牧君発行の三百万円近い不渡り手形が残っている。そのほか、手形を落すためにと、五十万円単位で何度か逆にこちらからの持出しもある。それでも、彼の或る種の、破滅タイプの職人芸的編集者気質に惚れていたこともあり、私は督促がましいことは一度もしたことはない。
印税に関する不当な憶測は、矢牧君の口からではなく、堤、森下両君が、現在は、病と、死線をさまよう闘いのさなかにある彼の尻をたたいて、彼にとっては不本意にも、そのように仕立てられてしまった発言であろうことを信じる。
・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載18】に続く