『血と薔薇』1969.No4

『血と薔薇』1969.No4
エロティシズムと衝撃の綜合研究誌

特集=生きているマゾヒズム より「いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート」:平岡正明(wikipedia)

※1969年2月、康芳夫の誘いで天声出版に入り、澁澤龍彦の後任者として『血と薔薇』第4号(天声出版)を編集

◆いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・(連載3)

マゾヒズムの基本的な形態は沈黙である

ふたたび海をおもいだそう。世界に敵対的な棘をつきだすウニがいる。その横にイソギンチャクが一つ、生理食塩水のような海水をゆるやかに吸いこみポッと吐きだしている。深海ではなく、波一枚下の薄明で、ゆるやかに自然が流入し流出しているイソギンチャクの生命がマゾヒズムのモデル・ケースのはずだ。沈黙するイソギンチャクの思想を---むろんイソギンチャクのような思想とか、イソギンチャクじみた思想ということではなく、波にあらわれてしずかに海を呼吸しながら、ああうめえ汐がきたと触手をふるわせてよろこんでいるイソギンチャクの思考の内容だが---俺は五月八日、木曜日の渋谷駅南口広場で一枚のビラとともに渡された。

あなたの血をくれませんか?

HM君を助けて下さい!

慶応病院で3月19日に血友病性偽腫瘍で手術した、HM君(21歳)は今まで一八三六人分もの輸血をしておりますが、今でも毎日、58人分の血液が必要です。あなたの血液を下さいますようおねがいいたします。

新鮮血で、何型でも使えます。

◯供血して下さる方は 日赤中央血液センター 渋谷区広尾4―1―6[一面]

HM君(21歳)の病状について

彼は小学4年生の時、血友病と知らされました。

中学1年生の時、右足に強い打撲をしました。それがだんだんはれて来ましたが、血友病のため、手術は出来ず、今までそのままにしておりました。

しかし、そのままにしておくと骨が溶けていくと云われ、1月に入院して1月19日に1回目の手術をして失敗、2回目を3月19日にしました。その時、新鮮血(B型)が必要で病院の医師、看護婦、看護学院の生徒30人も協力して,一万cc(50人分)輸血し、その後も特殊血(抗血友病性因子)を毎日58人分使用しております。

尚、宇浜主治医はこの血液確保のため、自衛隊、警察学校などにも依頼しましたが、協力を得られず、H君自身の知人も少なく、献血供給事業団を通じて、東京みんなの会に依頼されました。

彼はこの病気のため。今まで就職も出来ず又、彼の弟さん二人もやはり血友病の因子を持っていると云う大きな問題を持っており、生活も脅やかされると云う障害の中に生きております。毎日58人分の血液を集めることはむずかしいことですが、一人が一人と努力してゆけば成功します。健康な人は出来るだけ努力をして下さい。自分が出す、そして友におねがいする。道は開きます。[二面]

ビラの発行出体は”東京みんなの会・血液事業部”と記されている。

ドラキュラが生きている。彼は毎日五十八人分、一万一千六百ccの他人の血を必要とするのだ。おそらく霧深い中世にあっては、血友病患者は、それが遺伝的のものであるという経験則によって、閉鎖的な社会の自己防衛本能が発揮され、胸に木の釘をうちこまれて埋葬されたのだろう。人々は自分たちの共同の殺人を隠し、遠ざけるために吸血鬼伝説をつくりあげた。

血をカンパしてくれといわれたのははじめてだった。新宿や渋谷の駅頭ではさまざまなテーマのカンパ活動がおこなわれていて、これにたいしてこちらは自分なりの原則をもっている。

それは、ここで百円をカンパすればゲバ棒が一本買えるという行為の直接性をもたないカンパには応じないということだ。というのは、自分自身がカンパ活動で動いた経験が何度もあって、他人に、カンパ、署名、集会への参加、行動への参加、陰謀への参加をもとめることは、それ自体、厳密な政治力学的な判断を前提にしなければならないということを知っているからだ。いくつかの銅貨をボール箱に投げいれて、あらゆる事件、あらゆる闘争にズルズルとシンパシーをもつにいたることは拡散である。ボンゴザの勝負は一点にはろうではないか。血をカンパしてくれといわれた時にこちらはことわったのだけれども、正直にいって、俺は自分なりの原則をここでとおしたわけではなかった。

気味が悪かったのだ。第一に自分の血が他人の身体を流れるというおぞましさ、第二に---血を思想の下意識部分と考えるような感覚をものがたるものだが---自分の思想が他人の血管のなかを流れるようなおそろしさ、第三に、認識できないものや禁忌から遠ざかろうとする自衛本能、これらが複合して、俺をケチらせたのだと内観できる。

さらに、予期しなかったものからうけた軽い不安の念は、ビラを読んでから憎悪にかわった。患者には責任のないことなのでビラに出ている彼の個有名詞を出さず、HMという俺とおなじイニシァルを用いたが、”東京みんなの会・血液事業部”というのがどういう組織か知らないが、このビラの論理構造はタチが悪い。

「毎日58人分の血を集めることはむずかしいことですが、一人が一人と努力してゆけば成功します。健康な人は出来るだけ努力をして下さい。自分が出す、そして友におねがいする。道は開きます」

最初のセンテンスで主体と客体が微妙に逆転している。「58人分の血を集めるのはむずかしい」というのは血液事業部であり、「一人が一人と努力してゆく」のは供血者であって事業部ではない。HM君と街を行く人々はなんの関係もないし、したがって一ccの血を供給する義務もない。にもかかわらず「自分が出す、そして友におねがいする。道は開きます」だ。HM君が死のうが生きようが、そこに、HM君とHM君以外のすべての人々の共有する「道」なんてものは介在するはずはないのだ。このビラがヒューマニズムから発してヒューマニズムの自己偽瞞におわっていることを指摘するのは容易である。しかし問題はこうなのだ。

・・・次号更新【いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・連載4】に続く