康芳夫

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虚業家宣言(11):勝つこと---それがすべてだ

◆勝つこと---それがすべてだ

実は、私がクレイと交渉中であることは、それまでごく少数の関係者を除いて、私はまった く秘密にしてぃた隠密裡に事を運び、クレイが羽田に到着した時点で、いっせいにマスコミに発表する。その方が何倍もの効果を也み出すことを、私はこれまでの経験で知っていたからだ。

小出しにされた情報は、たとえ、それが重要なものであったとしてもマスコミからは無視されやすい。

ところが、ノースウエスト航空から切符を入手して五日目、一つの偶然から、私はクレイ戦のことを発表せざるを得ない羽目になってしまった。

その頃、日本のボクシソグ界では、藤猛が絶大な人気を博していた。ハワイ生まれの二世・ポール・タケシ・フジイ、彼は、これまでの日本にはいなかったタイプのボクサーだった。技術は未熟といってよかったが、そのパワーは日本のボクサーには望むべくもないもので、KOにつぐKO。足を使って打っては逃げるというこれまでの日本ボクシングの概念を完全に変えてしまっていた。

「勝ってもかぶっても」だの「岡山のバアちゃん見てるね」だの、彼がリング上でしゃべったカタコトの日本語がたちまち流行語になってしまったことからも、彼の人気のほどがうかがい知れる。

クレイ戦と併行して、その藤猛の世界タイトル挑戦試合にも、実は私はチョッカイを出していたのである。どうせ、クレイのことでボクシングの世界に首を突っ込むのなら、ついでに藤猛のタイトル。マッチも、自分の手でプロモートしてやろう、そう考えたのだ。当時の世界ジュニア・ウェルター級チャンピオンはイタリアのサンドロ・ロポポロだった。

もちろんボクシングの世界にも有能で抜け目のないプロモーターがわんさといる。当然、藤猛の世界挑戦の話は前からあった。だから私は後から割り込む形になった。断わっておくが、”虚業”の世界には商慣習、商道徳なんてものは存在しない。そんなものは過去の遣物に過ぎない。誰かが先に手をつけているから手を出してはいけないなどということは、絶対にないのだ。いつ、どんな形で参加することも許されるのが”虚業”の世界だ。

勝つこと---それがすべてだ。

翌日にはクレイ一行がシカゴを発って羽田へ向かうという日のことだった。その日、ロイター電が、こう伝えてきた。

《ロポポロのマネージャーは藤猛とのタイトル・マッチに関して、日本の”アキラ・プロモーション”と接衝中である---》

すぐにスポーツ記者が騒ぎ出した。”アキラ・プロモーショソ”なんてこれまでに聞いたこともない。

「いったい、どこにあるんだ?」

「ガセじゃないのか!?」

なかに、一人、カンのいい記者がいた。”アキラ”というのは”神彰”のことじゃないか。しかし、神彰がボクシソグに手を出しているなどという話は聞かない。その記者は半信半疑のまま、『アート・ライフ』の事務所にやってきた。『報知新聞』の大高記者だった(後、彼は『朝日』の社会部に移り、現在は富山支局にいる)。

一応、ロポポロの件の取材が終わったところで、神さんが私を別室に呼んだ。

「どうだろう、もう明日、来ることは決まってるんだから、ついでにクレイのこともしゃべった方がいいんじゃないか」

しかし、私は、契約が済むまでは、あくまでトボけていた方がいいと主張して譲らなかった。

というのは、これもまた遇然の一致なのだが、その少し前に『協栄プロ』の金平正記氏が記者会見で爆弾発言をしていたからである。

「クレイのエキジビション・マッチを東京で開催すべく、目下、クレイ側と交渉中」

まさに寝耳に水だった。こっちが試合の交渉をしているときに、相手はエキジビションをやるというのだ。これでは、クレイが二人必要になる。いったい、どうなってるんだ。一瞬、私は、これは、ロバート・アラムにはかられた、奴は両天秤にかけて有利な方に乗ろうという腹だな、と考え、青くなった。

だが、調ぺてみて、私は安心した。金平氏はなんとクビになったクレイの前マネージャー・アンジェロ・ダソディと交渉していたのだ。間の抜けた話である。すでにクレイはアンジェロ・ダンディとは完全に手を切っている(後に、再びヨリを戻し、現在、彼は、クレイのチーフ・トレーナーとなっている)。交渉が成立する見込みはまるでないのだ。

金平氏ともあろうベテランが考をれないミスをやったものだ。よし、それなら、ついでにここで本職の鼻をあかしてやろう、私はそう考えたのであった。

・・・・・・次号更新【金平正記氏との対決】に続く

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