戦後の文学界に衝撃 マゾの奇書「家畜人ヤプー」覆面作家は高裁判事 東大卒のエリート

昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(5)

三島はオレの顔を見て、「殺気を孕んでる」とか、「気をつけた方がいい。北一輝を彷彿とさせる顔だ」って言ってたらしいよ。三島は二・二六事件の黒幕たる北一輝に関して非常に複雑な感情を持ってたからね。ああいう、日本を乗っ取ろうと天皇を追っ払って、自分が天皇になろうという奴は絶対許せないことであって、「邪悪な怪人」というか、そういうイメージだったわけ。関西弁で言う「けったいな」、気持ち悪いやつだと、複雑な気持ちでオレを見たらしい。彼は元々小説家だから当り前だけれど、非常にナーバスな警戒心の強い男だから。

僕は彼に対して悪い感情は何も持たないし、作品についてはそうですね、作品によりけりなんだけどね。最近読み直してみたんだけど、『青の時代』は僕の大学の先輩で例の自殺した山崎晃嗣がモデル。『禁色』と、もう一つは、僕が彼にとって一番重要な作品だと思ってる『鏡子の家』。この本について色々彼に聞こうと思ってるままチャンスを逸しちゃったんだけど、これはある大富豪の娘が毎日パーティーを開いて、そこに毎日色んなやつが集まってくる。そこで、夜ごと夜ごと倦怠的な、アンニュイに満ちた生活を送って、何かが起きそうで結局何も起きずに、そのパーティーも主人公の平凡な結婚という日常で終焉するっていう話なの。どういうことかと言うと、革命とか、色んな意味で世の中を変えようとか、変えたいと日常的惰性に飽き飽きしてた連中が集まって色んな生活を繰り返すわけだけど、鏡子はそこの主人公で、結局その鏡子も平凡な結婚をしちゃうというね。その話は三島にとって重要な意味を持っていて、彼は戦後のある時期まで、革命も含め、世の中に何かがおきると、そう思って、非常にスリリングな期待を世の中に抱いて色んな小説を書いたわけですね。しかし実際は何もおきずに、いわゆる相対的安定期に日本が入ってきたと。何もおこらない。その絶望感から最後に三島事件をおこしたわけだけど、それをおこすきっかけになった、初期作品の中でも非常に重要な小説なの。ただ文学作品としてはもっと他に優れたものはいっぱいあって、これはテーマが面白いわけ。その意味において三島作品の中で、きわめて重要な位置をしめる。「ああ、これが彼の言動のすべての根源的モティベーションなんだな」と。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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