ニッポン最後の怪人・康芳夫

昭和天皇は一体何者だったのか

太平洋戦争終戦前に生まれた日本人の多くにとっては白馬にまたがり八紘一宇を唱える我が大日本帝国の大元帥閣下のイメージは簡単に瞼から消え去らない。

太平洋戦争後敗戦一夜にして主権在民の民主国家が誕生し昭和天皇はその民主的象徴として再生することになる。

保守派、右派の人々は太平洋戦争に日本が敗北したのは鉄と石油、一連の戦略兵器そして最終的には核兵器を生産できなかったことが主要な敗因であり、精神的密度においては日本を中心とする八紘一宇の大和魂は決してアメリカンデモクラシーのごときに劣るものではなかったと確信している。

確かに最近ピョンヤンのロケット総書記が若干三十数才で世界中の注目を浴びているのは北朝鮮が核弾頭付き大陸間横断ロケットを生産保有しているからに他ならない。

この点から判断すれば我が昭和天皇も充分な鉄と油、一連の戦略兵器を保持していれば充分に欧米と対決でき一歩もひくことはなかったかも知れない。

戦争の勝敗とは所詮そうゆうものだ。

明治維新における鳥羽・伏見の戦いを始めとする薩長VS幕府の決戦も所詮武器の性能の戦いではなかったか。

我が昭和天皇も大日本帝国を統括する大元帥から一夜にして平和憲法に国の象徴と化して内心忸怩たるものがあったであろうことは充分に憶測されるが結果としてアメリカに支配されたことでロシアに占領されるよりずっとましだったと国民の多数考えているのではないか。

戦後74年を経て保守派、右派からアメリカさんの平和憲法を始めとする占領政策に関し

どすぐろくうずまく一連の不満が渦巻いているのは事実だが、あえて付け足すならば国民の大多数は今の状況にいろいろ不満はあっても満足しているということなのかも。

その証固に安倍総理が祖父岸信介の遺言に基づき平和憲法改正に向かって、いくら旗をふっても国民のほとんどが憲法改正に無関心という世論調査がある。