証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第6話「アート・ライフを設立」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第6話「アート・ライフを設立」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

——マイルスを呼ぼうとなったのはAFAの倒産後ですよね。そのあとにアート・ライフという会社を作って。

神が社長で、ぼくが副社長になるんです。神はAFAの倒産で気力が萎えていたから、実際に取り仕切るのはぼくの役目でした。

——AFAはどうして倒産したんですか?

経営的な問題ですよ。大西部サーカス。これが大インチキで。ピストルが百発百中っていうけれど、偽物なの。カーテンのすぐうしろから別のひとが撃ってるんだから。しかも弾の方向や硝煙からも、客にはインチキがバレバレ。

牛のロデオも酷かった。二枚目のカウボーイがかっこよく現れて牛に飛び乗る。拍手喝采ですよ。ところがこのカウボーイがみんな二流で、30秒も持たない。最初は愛嬌かと思って拍手していた観客も、最後は白けて。お客さんはみんなしっかりしてますから、これでは客が入らない。いまのお金なら10億以上の赤字です。ボリショイ・サーカスで稼いだお金がいっきに吹き飛びました。これで倒産。

——AFAの倒産が64年で、東京オリンピックの開催された年です。

開幕のちょっと前。

——日本は経済が上り調子にあったときですよね。ひとびとにも余裕が出てきたから、興行にもひとが集まってきた。

そうですが、ものによります。なんでもかんでもやればひとが集まる時代は終わっていました。そこを、ぼくたちは甘く見てたんです。大西部サーカスだったら、ピストルを撃てばひとが来るだろう(笑)。それが大間違い。そんなに世の中、甘くない。思い知らされました。

——次のアート・ライフを設立する際の資金はどうしたんですか?

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