『諸君!』昭和57年(1982年)11月号

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より

三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎

文通はこうして始まった

彼に初めて出会ったのは、もう二十六、七年前のことであろうか。当時は、彼が何を生業としている男なのか知らなかった。いや、その本名も、まったく知らされていなかったのである。

私も彼も、そのころ大阪で発行されていたSM雑誌『奇譚クラブ』の寄稿家であった。彼のペンネームは「沼正三」。のちに『家畜人ヤプー』の作者として一世を風靡した、あの沼正三の名で『マゾヒストの手帖より』と題して、マゾにまつわるエッセイ的なものを連載していた。この連載は、のちに都市出版社より『ある夢想家の手帖』と改題して単行本化されたものである。

私は私で、この『手帖』より一月遅れて、森本愛造のペンネームを使い『残虐な女達』の連載を始めた。これはJ・ビルリンガーというドイツ人の書いた論文の翻訳で、サロメから則天武后まで、古今東西の女性にみられる残虐性の実例研究を集めたものであった。

そんなあるとき、沼氏からの申し出によりわれわれの間に文通が始まった。

そうして何カ月かたった頃---不意に彼が私の家を訪ねてきたのである。

彼との出会いにふれる前に、いかにして文通が始まったのか、その経緯を述べておいたほうがよいと思う。というのは、彼が自分の正体をどれほど隠したがっていたかが、そこによく表れているからである。

最初、彼は『奇譚クラブ』の版元である曙書房の吉田稔社長に「森本愛造氏の住所を教えてほしい」といってきたらしい。森本愛造というのは私のペンネームである。

吉田社長から「教えてやっていいか」といってきたとき、私は即座にOKした。沼正三は身分を隠したがっているようだが、森本愛造としては隠すべきものもない。

そのうち、彼から手紙が来た。この第一信は、あいにく手元にないのだが、おそらく、『奇譚クラブ』に掲載された私の文章に対する感想のようなものと記憶する。

さて、沼正三にしてみれば、手紙をやったはいいが、返事もほしい。しかし、己れの身元を秘匿しているがために、その手段が見当たらない。どうしたものか・・・・・・というわけで、再び吉田社長に手紙で相談した。

これより以前、沼正三が寄稿しはじめた当初、吉田社長が「沼君に原稿料を送りたいのに宛先がわからない」とボヤいていたのを耳にしたことがある。唯一の手がかりは、原稿を送ってくる封筒に押された「飯田」の消印だけ。これは長野県飯田市の「飯田局」のことである。

そこで、私は吉田社長にこういった。

「長野の地方紙といえば『信濃毎日』しかないんだから、そこに暗号文で三行広告を出せば、彼は飯田の本局までとりにくるでしょう」

実際、そうしてみた。ところが、これがすんなりとはいかなかった。局留め郵便物を受け取るには印鑑が要るのに、彼は「沼」の印鑑を持っていないからである。

彼はイライラしたことだろう。速達をよこして「実はこれこれしかじかで受け取れない」といってきた。私が「それでは当方で印鑑を作ってお送りしましょうか」と書いてやると、また速達をよこした。

「いや、あなたにそこまでしていただくことはできない。あなただけは信用することにして、次の住所宛てに出していただきたい。

飯田市江戸浜町県営住宅七号
原政信様方 倉田貞二(傍点森下)」

こうして、ようやく彼の居所が判明したわけである。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事・・・連載3:ロシア人看護婦の小水】に続く