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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』
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◆ホラを実現する男クレイ
私がクレイのとりこになったのはまさに、この”KO予告”であった。ボクシングはセコンド(秒)の勝負と言われる。どんなに優勢であっても、一発のクリーンヒットで試合が逆転する。だから、これほど予想の当たらないスポーツも珍しい。
それを、KO予告だなんて。ホラだ、弱い犬ほどよく吠えるってやつだ、初めのうち、誰もがそう思っていた。ところが、クレイはとても実現できぬと思われた予告を、次々と実現していったのである。自分自身の腕で、”虚”を”実”に転化していったのである。私はこれにマイった。
クレイが、初めてKOを予言したのは三十六年四月十九日、対レイマー・クラークとの試合であった。そのときクレイは第ニラウンドK0を公言し、そのとおり、第ニラウンド、クラークを三度マットに沈めて快勝した。
その後、アレックス・ミテフを六ラウンド、ウィリー・ベスマノフを七ラウンド、ソニー・バンクスを四ラウンド、ドン・ワグナーも四ラウンド、すべて予告どおりの回でKOした。
そして三十七年十月、かつての無敵のチャンビオン、といってもクレイとの試合のとき、彼はすてに四十になっていたが、アーチ・ムーアを四ラウンドでほふった。その直後のチャーリー・パウエルを含め、結局、クレイはそれまでに十二回予告し、すべて予告どおりのKOで勝っていた。。彼がホラを吹くたびに世界中のジャーナリズムが右往左往しだしていた。
そして、今また、私の目の前で、クレイはいともアッサリ、予告を実現して見せてくれた。
”ホラを実体化する男”、これこそ私の求めていた口マンそのものだった。世間の”常識”が下した、有り得ないという判定をいとも軽々とKOして見せる男・カシアス・クレイ。私はそこにうたれたのだ。
リストンが自分のコーナーでうなだれ、クレイが両手を挙げてリング中を跳び回っているテレビの画面を見ながら、私は決心していた。
「クレイ日本に呼ぼう。そして日本人にヘビー級世界チャンピオンの試合をナマで見せよう」
あれはも単なるボクシングなんていうものではない。生きた”芸術”だ。しかも、呼ぶなら今だ、全盛期のクレイ、最高潮の世界チャンピオン、それでなければ意味はない。
正直に言って、クレイを知るまでの私は、それほどボクシングに興味を持っていたわけではない。それは神さんも同様だった。もし、あのとき、私がボクシングの世界をよく知っていたら、クレイを日本へ呼ぼうなどという大それたことは決して考えなかったかも知れない。
テレビ中継が終わると、私はすぐに神さんに連絡した。
「神さん、見ましたか。クレイ、クレイですよ、生きた芸術だ」
なにか、わけのわからぬことを私は電話ロでしゃべっていたらしい。それほど興奮していた。だが、神さんはおいそれと乗ってこなかった。
「ボクシングの興行というのは、必ず暴力団と結びついている。われわれがかクレイを呼ぼうとすれば、きっと暴力団が介入してくる。おれは奴らとのつき合いはゴメンだね」
それが神さんの言い分だった。
トップクラスの呼び屋として神さんも、これまで興行の世界と接触してきたわけだから、決して暴力団と閲係がなかったとは言えないが、彼は暴力団を憎み、極力、彼らの介入を排除しながら、やってきていた。そのために『朝日』、『読売』など大新聞と結ぶことも敢えてしてきたほどである。
そのことを知っているだけに、「暴力団云々」と神さんに言われると、私はそれ以上、押してまで「クレイを呼ぼう」とは言えなかった。
それに、そのときには、すでに書いたように、もう『アート・フレンド』はガタが来ており、新しいものに取り組む、資金的余裕もなかったのである。
『アート・フレンド』が倒産する数ヶ月前のことだった---。
・・・・・・次号更新【オレは忙しいんだ】に続く