裁判長席に坐っていた”天才”

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事

秋風が立ちはじめた九月二日、私は、東京高等裁判所四一七号室、四号民事法廷の傍聴席にいた。法廷では、何やら民事関係のしちめんどくさい訴訟が争われていたが、無論、私はただの傍聴者。原告、被告のいずれにも関り合いはない。

裁判官席には、三人の判事が居並んでいた。その中央、裁判長席に坐っている人物こそ、二十六年前に私の家を訪れ、一晩でドイツ語原書を読了していった「沼正三」にまちがいなかった。

私は、東京府立一中時代の倉田氏の写真をたまたま見せられたことがある。そのときはまだ、面影こそ、あの「沼正三」に似通っているものの、確信はなかった。

だが、いま眼の前にいる人物こそ「沼正三」である。もちろん原告側の人間も被告側の人間も、自分たちの訴訟を指揮するその人物が、戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の作者であるとは、夢想だにしていない。

私は、世間の眼を逃れ、ひそかに書き続けてきた「文豪」を見つめていた。

私の前、およそ十メートル離れたところでもっともらしく裁判書面を繰っている人物。彼こそ、三島由紀夫が”天才”と呼んだ、その男なのであった。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎・・・連載18】に続く