唐突に沼正三問題が出てきた背景・・・・・・(2)

『潮』昭和58年(1983年)1月号

堤君とも親しい某氏によれば、「必ずK氏を公職より引きずり降ろしてみせる」と彼は豪語しているという。いったい、これは何を意味するのか?「K氏を、エリートだ天才だと持ち上げれば持ち上げるほど、そのプライバシーを詮索詮する目つきには、逆に往年の特高警察のような卑狸な底意がつきまとうではないか。今、なぜ突如、場違いな形の暴露記事が噴き出たか、それは『ヤプー』が、それほどまでに傑作であるから、その続篇を読みたさの熱意のあまりなどと、見えすいたシラジラシサは、誰にでも即座に読み取れよう。

第一、森下君は、十年前には『ヤプー』をあまり高く評価していなかったではないか。それが今にして、かくも熱烈な讃美派に一変したとは、一驚に価する。沼死亡説から、前半は沼、後半を天野が書き継いだの説に代りもした。そして今、二十九章以後の「続篇」の部分は明らかにトーンダウンして、つまり天野のリレータッチによる、との見解を示した。森下君は本当に、それほど、心を入れて『ヤプー』をお読みなのであろうか。『諸君!』十一月号冒頭写真の『ヤプー』限定版には「改定増補」とあるのが明瞭に読み取れるはずである。然り、『ヤプー』は版を重ねるごとに改定増補されているのである。二十九章以後を続篇というが、そういえば二十八章も既に続篇なのである。冒頭部分を含め、大部にわたる新しい書下ろしと、残る『奇譚クラブ』半分弱の個所も、残らず改定増補し、面目一新しての単行本化であった。それがトーンダウンというなら、雑誌の初出連載時の『ヤプー』と単行本と、版を重ねるごとに増えた分と、文庫本で更に改定増補された部分とを、ようく比較検討されたい。

右のように、単行本化の時に、『ヤプー』は大部を新しく書下ろし、或いは改めた。それが、沼正三以外の者になしうるものかどうか、比較検討さるべきであった。原稿が新しいのは、理の当然である。堤君、これも取材の怠慢ですぞ。準備に四か月以上をかけたと聞くが、その暇がなかったはずはない。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載16】に続く