上手の手から水が漏れた(1)
ここで一つ提案がある。
前稿に、沼正三は私を仲介として、イタリー語を話す女性と文通したいがため、わざわざイタリー語を勉強したことを書いた。そして、その女性ドリスに宛てた手紙の訳文を掲げた。もし天野氏がどうしても『ヤプー』の作者だとおっしゃるなら、どうかこの訳文を元のイタリー語に復原していただきたい。ただし逐語訳してもらっても、私の手元にあるイタリー語の手紙にはならないことを、ヒントとして申し上げておく。
天野氏に「ドリスなる女性に手紙を出した覚えはない」とはいわせない。角川文庫版の『家畜人ヤプー』あとがきに、沼正三はちゃんと「ドリス」にふれて書いている。
<ある白人ドミナ(ドリスのこと=森下註)と私との文通を仲介することで、宿構の文思に天籟(インスピレイション)の翼を与えるのを手伝って下さった谷貫太氏(私の筆名=森下註)の好意をも、なつかしく想起する(この小説の登場人物の幾人かの命名が彼女に由来することを言えば、氏はこの文章が沼正三本人の手になることを納得されるであろう。それは二人だけの秘密であったから)>
私は一時、沼正三死亡説を信じていたことがある。それで『ヤプー』の生んだ幾多の果実(版権料、著作権料など)を、作者がいなくなったのをいいことに、代理人たる天野氏がほしいままにしているとにらんでいた。だから天野氏と顔を合わす度に、ほどほどに襟を正すよう忠告してきたのである。
文庫版あとがきの右のくだりは、そんな私に対する”いいわけ”なのであろう。沼死亡説を否定してみせる一方で、「この文章は天野の代筆でなく、沼本人が書いているのですよ」とサインを送ってきたわけだ。
が、上手の手から水が漏れた。ドリスとの文通を認めることにより、沼正三は、私と文通していたことまで白状してしまったのだ。
問題点を整理してみよう。
・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎・・・連載25】に続く