”向う側の世界”・・・・・・(1)

『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙

『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙

ある裁判関係者から、こんな話を聞いたこともある。

「彼がまだ判事補時代、ミルク缶のラベルの文字にミスを発見しましてね。たしかドイツ語だったと思うんだけど、そいつをその乳業メーカーの本社に知らせてやったところ、お礼に金一封だかを送ってきたことがあるんです。ことほどさように細かな点によく気がつき、かつ正確で広汎な知識を備えた男でしたね。ところが、だ。その一方で彼には実に無頓着な一面もあった。夏なんか、法服の下は下着のシャツに半ズボン、それに下駄ばきなんです。『法服さえつけておれば分からない』とすましてましたよ」

いささか脱線したが、こうした言葉に対する「こだわり方」と、服装---というよりはむしろ権威---に対する「こだわりのなさ」とは、べつに同居しておかしくはない。

もし私が、ひょんなことで法廷に立たされるとするなら、こういう裁判官に裁かれてみたいものである。

ところで、彼の言葉に対する「こだわり方」は、西洋人コムプレックスと密接につながっていると思われる。右に見たように、沼正三はわずか一つのイタリア語の単語について、その意味を探り出そうとする。これはヨーロッパ言語という、われわれにとっては”向こう側の世界”を覗き見ようとする、彼の飽くなき欲望の一端を示すものであろう。

彼の、西洋人の生活(外見上のそれではなく、生活の内奥にある心理の動きなど)に対する好奇心は、さながら、長崎の出島に通って蘭学を修めようとした幕末の青年を思わせる。

・・・次号更新【『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・連載38】に続く