都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)
沼正三の代理人を探し出す
三島さんから話を聞いて、すぐに私は『ヤプー』の出版を決意した。徹底したマゾヒズムが芸術にまで昇華している。「これはイケる」と私は瞬間的にそう判断を下していた。
ところが、三島さん自身も作者の”沼正三”なる人物については、まったく知らぬというのである。私は、まず作者探しから始めなくてはならなかった。『奇譚クラブ』の関係者をやっとのことで探し出したが、やはり作者については知らないという返事しかかえってこない。私は困り果ててしまった。だが、その編集者が、作者に関して一つのヒントを与えてくれた。
「沼正三については知らないが、沼正三には天野哲夫という代理人がいて、原稿を持ってきてくれたのも彼だし、出版のために中公などを回ったのも彼だった。彼に聞けば何かわかるのではないか」
というのである。
すぐに、といっても天野哲夫氏を見つけ出すのがまた一苦労だったのだが---私は天野哲夫氏に会った。初対面の天野氏は、ほほがこけ、目つきは鋭く、異様な雰囲気を身につけていた。只者でないと私は感じた。もしや、この天野氏自身が沼正三ではないのか---だが、天野氏は、その点はキッパリと否定した。
「私はあくまで代理人です。沼氏からすべてをまかされています。出版の件は喜んで承知致しましょう」
だが、その後も『ヤプー』出版の話は、決してスムーズに進んだわけではない。神さんと『天声出版』の編集者・矢牧一宏氏とのケンカ、続いて『天声出版』の倒産などと、いろいろなことが起こった。結局『家畜人ヤプー』は、翌年二月、矢牧一宏氏が詩人の田村隆一氏などと一緒に始めた『都市出版社』から、中断された部分に、約三百五十枚にも及ぶ新稿をつけ足したうえで、十数年ぶりに出版されたのである。