証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第2話「ふたつの祖国」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第2話「ふたつの祖国」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

——お母様は日本の方で。

そうです。恋愛結婚でね。山崎豊子(注7)の小説『二つの祖国』(注8)じゃないけど、ぼくはまさにあのケースですよ。父はノンポリはノンポリだけど、「中国は勝つ」というし、お袋は「とんでもない、日本が勝つ」ですから(笑)。「夫婦でなにやってるんだ」ですよ。

父には大使館から情報が入ってきますから、「日本が負ける」のがわかっていたんです。でも、それを口にしたら逮捕されちゃいますから。憲兵に厳しく監視されていましたし。ミッドウェー海戦(注9)のときだって、日本は完敗したの。その情報が全部大使館には無線で入ってくるでしょ。だから「この戦争は負ける」と。お袋は「とんでもない」。愛国心と恋愛感情が入り混じって、その間にぼくが挟まれて(笑)。

——小学校に入るのが戦争も末期のころ。

父は自分が出た幼稚舎にぼくを入れようとしたんですけど、落ちちゃったんです。いまでも幼稚舎のある天現寺界隈はトラウマであまり近寄らない。それで暁星の初等部に入りましたが、集団疎開に行ったので辞めざるを得なくなり、二年のときに辞めました。

——暁星といえばフランスのカソリック系ですが、戦時中にそういう学校はどうだったんですか?

フランス人教師もいましたが、当然のことながらフランス語は禁止で、憲兵も校門のあたりをうろつくなど、不思議な緊張感があったことを覚えています。

——康さんがお生まれになった年には日中戦争も始まりました。生まれたころのことは記憶にないでしょうけど、そのあとは第二次世界大戦が始まって、そういう時代にすごされた少年時代はたいへんだったんでしょうね。

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