証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第7話(最終話)「そのあとも波瀾万丈」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第7話(最終話)「そのあとも波瀾万丈」:小川隆夫(ARBANより抜粋)

——73年には、それまで日本に来たことがなかったトム・ジョーンズ(vo)(注44)も呼んでます。

これはぼくが独立してからですね。ギャラが破格で、赤坂の「ニューラテンクォーター」で、料金がひとり12万円。ラスヴェガスでは当時ひとり1万円ぐらいですから、当然、大問題になりました。そのほかにも契約問題とかがいろいろありましたけど、無事に来日して成功しました。トム・ジョーンズはまだラスヴェガスなんかでときどき歌ってますよ。ヴォイスが枯れてて、ちょっと黒人っぽいところがある、なかなかいい歌手です。

——この1年前(72年)には日本でモハメッド・アリ対マック・フォスター(注45)戦を実現させたり、73年にはネッシー探検隊(総隊長は石原慎太郎)を結成してネス湖に行ったりしています。76年にはアントニオ猪木(注46)対アリ戦にもコーディネーターとして参加し、同じ年にはチンパンジーのオリバー君も呼んでいます。

ぼくもジャズの世界から遠ざかっていましたが、今回、突然ご連絡いただいてびっくりしました。

・・・続きは、証言で綴る日本のジャズ3 康 芳夫 第7話(最終話)「そのあとも波瀾万丈」:小川隆夫