石原慎太郎との出会い(1)
東大時代の私には”ニセ学生”伝説とは別に、もう一つ”伝説”が残っている。人間、伝説が生まれるようになれば一人前というが、どうだろう。
もう一つの”康伝説”というのは”茅総長バット殴打事件”である。当時の茅総長を五月祭のとき、私がバットで殴りつけたというのだ。
私が三年のときの話だ。その年の五月祭で私は企画委員長に選ばれてしまった。
「日頃から、大言壮語してるから、アイツに何かやらせてみたら面白いんじゃないか」というようなことだったらしい。私も、こういうことは根が嫌いな方じゃない。大いにハッスルした。
五月祭には必ず、本部企画というのがあり、それは企画委でやることになっていた。私はまず三つのプラソを立てた。
一、ジャズ・フェステバル
ニ、ティーチイン『新しい芸術の可能性』
三、AA諸国大使の講演
今考えてみても、なかなか冴えた企画だったと思う。
・・・・・・次号更新【石原慎太郎との出会い(2)】に続く
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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。
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