『血と薔薇』
エロティシズムと残酷の綜合研究誌
澁澤龍彦 責任編集
創刊号 Oct.1968No.1
All Japanese are perverse
三島由紀夫
---これだけでも、読者はすっかり退屈したであらうから、更に複雑なソワサント・ヌフの例示は割愛しよう。もっと露骨な言葉を使へば、ずっとわかりやすく表現できるのであるが、わかりにくい点は勘弁してもらふとして、私は右の十一例を、わざと世間普通の常識的名辞を用ひて(実はさういふ常識的名辞がいかに無意味かを味はってもらふために)、解説してみようと思ふ。
(1)男Aと女Bは、軽微なサド・マゾヒズムの関係にあり、男Aはサディストである。
(2)男Aは(1)よりもやや重症のサディストである。心理的サディズムが加味されてゐる。
(3)男Aと女Bは、軽微なサド・マゾヒズムの関係にある、男Aはマゾヒストである。
(4)男Aは、心理的サディストであり肉体的マゾヒストである。
(5)男Aも男Cも同性愛者であり、男Aは男役であり、且つサディストである。
(6)男Aは同性愛者であるが、Cは必ずしもさうではない。従って男Aは、明確に男役と規定することはできないが、明らかにサディストである。
(7)男Aも男Cも同性愛者であり、男Aは男役であり、且つマゾヒストである。
(8)男Aは心理的サディストであり、肉体的マゾヒストであるが、明確に男役とは規定しがたい。なぜなら、男役女役は、相互の表象交換の上に成立つ相対的パートナア関係であるのに、相手側に表象が欠けてゐては、この関係が成立たないからである。
(9)男Aは、心理的サディストであり、且つ肉体的サディストであり、且つ女役である。なぜなら、Cの表象如何にかかはらず、Aの行為自体に、相手の男性表象と自己の女性表象と渾然としてゐるからである。
(10)男Aも男Cも同性愛者であり、男Aは女役であり、且つサディストであるが、心理的サディストではない。
(11)男Aは、女役であり、且つマゾヒストである。彼らは自らを女と表象する。
---もっと読者を退屈させるために、男Aなる人物を、この十一例に従って、要約してみることとしよう。もちろん、こんなさまざまな相反し相矛盾する欲望が、一人物の中に共在してゐるといふ莫迦げた仮定の下に。
(1)異性愛者でサディスト。
(2)右に同じ。やや重症。
(3)異性愛者でマゾヒスト。
(4)異性愛者で、心理的サディストで、肉体的マゾヒスト。
(5)同性愛者で、男役でサディスト。
(6)同性愛者で、男役であることがあいまいなサディスト。
(7)同性愛者で、男役でマゾヒスト。
(8)同性愛者で、心理的サディストで、肉体的マゾヒストであるが、男役であることはあいまい。
(9)同性愛者で、女役で、心理的サディストで、且つ、肉体的サディスト。
(10)同性愛者で、女役で、やさしいサディスト。
(11)同性愛者で、女役で、マゾヒスト。
・・・次号更新【All Japanese are perverse(三島由紀夫)・・・連載6】に続く